哲学に関するtbs-akaのブックマーク (3)

  • 対戦リスト - 対戦型哲学史

  • マッハ × レーニン

    「科学論」について レーニンのマッハ(主義)批判は、「お前らなんか結局バークリーだ」というに始まる。バークリーは哲学史上悪名高き「物なんてない」と主張した主観的観念論者で、おまけに僧侶だ。唯物論者(ということは当然無神論者)を自認する(くせにマッハにかぶれてた)連中にはこれ以上にない悪口だ。けれどマッハ人は別にマルクス主義者じゃない。だからレーニンはすかさず畳み掛ける。「世界は私の感覚だ、という。ならば、私の感覚から独立して物は存在しないし、私の感覚を離れて他者も存在しない。とにかく私以外にはなにもない。こいつは独我論だ」。独我論だとどうしていけないのか? バークリーはともかく、科学にコミットするマッハは困ったことになるだろう。科学が持つべき客観性=共同(相互)主観性(みんながそうだと認めること)を構成できないからだ。だからマッハは「私の感覚」というべきところで「我々の感覚」というのだと

  • 数学屋のメガネ:実無限と可能無限 - livedoor Blog(ブログ)

    野矢茂樹さんの『無限論の教室』(講談社現代新書)では、実無限と可能無限が中心的な話題となっている。野矢さんの分身のようなタジマ先生は、実無限に懐疑的で、無限の概念としては可能無限だけを認めるべきだと主張している。 実無限というのは、無限の対象の全体性を把握して、無限が実際に存在しているとする立場だ。可能無限というのは、無限を把握出来るのは、限りがないということを確認する操作が存在していることだけで、無限全体というのは認識出来ないとする立場だ。 実無限を認めないという立場は、それなりに納得出来るものだ。無限という言葉で呼んではいても、その細部にわたってそれが分かっていないとき、それを果たして「無限」という言葉で呼んでいいものかどうかに疑問を持つというのは正当な疑問のように思える。よく分かっていないものに対して「無限」という判断をするのは、単に名前を付けているだけのような気もする。 「実無限」

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