「科学論」について レーニンのマッハ(主義)批判は、「お前らなんか結局バークリーだ」というに始まる。バークリーは哲学史上悪名高き「物なんてない」と主張した主観的観念論者で、おまけに僧侶だ。唯物論者(ということは当然無神論者)を自認する(くせにマッハにかぶれてた)連中にはこれ以上にない悪口だ。けれどマッハ本人は別にマルクス主義者じゃない。だからレーニンはすかさず畳み掛ける。「世界は私の感覚だ、という。ならば、私の感覚から独立して物は存在しないし、私の感覚を離れて他者も存在しない。とにかく私以外にはなにもない。こいつは独我論だ」。独我論だとどうしていけないのか? バークリーはともかく、科学にコミットするマッハは困ったことになるだろう。科学が持つべき客観性=共同(相互)主観性(みんながそうだと認めること)を構成できないからだ。だからマッハは「私の感覚」というべきところで「我々の感覚」というのだと
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