九州のある田舎町で最近殺人事件が起こった。田舎道を行く通行人は少ないが、都会と同じように町には監視カメラが設置してあるため、犯人もすぐに特定できるはずと思われた。
我々の生活の中で身近な存在になりつつある「人工知能」。 この人工知能を、一見するとそれとは遠い場所に位置する“哲学”という視点から考えてみました。ゲストにお招きしたのは哲学者の下西風澄氏。 物事の深淵と向き合う哲学者の目に、人類の叡智はどう映るのでしょうか。 前・後編の二部構成でお届けします。 今日のテーマは人工知能ですが「人工知能に何ができるか?」「社会はどう変わるか?」みたいな話はしません。期待していた方がいたら申し訳ないのですが(笑)、僕は人工知能とは「技術」ではなく「思想」だと思っているんです。なので、今日はそういう視点から話をしてみます。 「人工知能 Artificial Intelligence」という言葉は1956年にアメリカで開かれた「ダートマス会議」という学会で生まれました。1950〜60年代の初期の人工知能の研究者たちは、人間の知能の本質を、記号の操作による論理的な推論
3月末に「ゲンロンカフェ at VOLVO STUDIO AOYAMA #5」として放送されたイベント。前後半合わせて3時間を超える対談を、後日タイムシフトで視聴しました。 genron-cafe.jp とくに後半の議論が面白かったのですが、前半部の千葉さんによるプレゼンは思弁的実在論の状況について分かりやすく整理されており、非常に勉強になりました。今回もメモを取りながら観ていたら大量になってしまったので、前半部のメモをこちらにまとめておきます。 togetter.com 前半部の要点 ガブリエル『なぜ世界は存在しているか』について 結論:マルクス・ガブリエルの話題の書『なぜ世界は存在しているか』は全く面白くない。 多様性を肯定する、かつてのポストモダンに近いが、その実在論化に踏み込んでいる。 一角獣やアニメのキャラのような虚構的存在を含め、すべてのものに、自然科学的なものと同じ「存在する
「言わずもがな」で見えない日本人 なぜ日本人には思想は必要ないのか。西洋的な思想の特徴は言語依存が高いことにある。論理や理屈、すなわち言語による体系化が重視される。これは今でいう「見える化」である。現前に明らかにする。 多様な価値の多民族社会では互いに「見せあい」主張することが求められる。それに対して島国日本では思想、宗教は地域コミュニティの生活の中で身体訓練、習慣として伝達されていく。多くが改めて現前化されず、「言わずもがな」、として伝達・共有されていく。 近代において西洋文化と出会い、日本人を「見える化しろ」と強迫されてもそのようには出来ていない。だから西洋人には日本の思想はないものになる。日本の思想は言語化できないものなのだ。たとえば音楽を言語化するようなものだ。 日本人はテレパシーで繋がる宇宙人 日本人の特徴としてすぐ異文化を吸収してアレンジする柔軟性があげられる。また日本人は島国
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