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  • 電線に意識が宿る - レジデント初期研修用資料

    スマートホンを持ち歩くようになってから考えたこと。自分なんかはむしろようやく追いついた側で、 携帯電話を使いこなしている人たちは、もっとずっと先を行っているのではないかと思う。 道具の境界がなくなった ちょっと前までだったら、原稿を書くときにはこの道具、大切な連絡をするときにはこの道具といったように、 同じPCを介した作業であっても、道具を使い分けていた。 スマートホンを持ち歩くようになってから、こうした道具の境界というものが曖昧になって、全てはチャットの延長のようなものへと収斂しつつあるような気がする。 今はたとえば、印刷原稿はTeX で書いて、それをSubversion 経由で出版社にアップロードする。出版社のサーバーが原稿を受け取ると、 それが自動的にメール配信されて、編集者が原稿を手直しすると、訂正箇所の差分ファイルが、またSubversion 経由で送られてくる。 通信メディアは

  • 経験は「どう」に集まる - レジデント初期研修用資料

    「何をするべきか」を語れる人は多いけれど、「どうやってそれを実現するのか」を語れる人は少ない。 「何」は一般化して、買い叩かれて、いっぽうで、「どう」を知っている人は生き延びて、 経験や知識というものは、「どう」を知っている人に集まってくる。 売りになる経験のこと たとえば最近、近所の開業クリニックで「医事職員募集」の広告を出したら、 大学を卒業したぐらいの人たちが30人、ずらっと列をなして集まってきたんだという。 今はもう当に仕事が厳しくて、田舎だと、立派な学歴を持った人でも、 ある程度安定して勤められる職場というのは当に少ないらしい。 うちの病院には最近、30代も後半の男の人が2人、新規職員として就職してきた。 2人とも、以前に病院勤めをしてきた人たちで、その頃の病院というのは、ちょうど「DPC」という、 新しい会計制度を導入した頃で、事務長は、「その時に病院にいた」という経験を買

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