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増田文学に関するtemimetのブックマーク (26)

  • 性欲と撮り鉄欲が入れ替わった世界

    あの日、神に願いを託したのは、ある一人の男だった。 「この世の性欲と撮り鉄欲を、どうか交換してください…!」 男は名を田中健二、30代後半に差し掛かった独身男性で、いわゆる“撮り鉄”という部類に属する。 鉄道を撮影することが何よりの生きがいで、日々全国を渡り歩きながら、名だたる鉄道をカメラに収めるのが彼の生涯の目的だった。 しかし、その情熱を周囲に理解してもらうことは難しく、家族や友人からは「どうしてそんなものを撮るのか」と常に冷たい視線を浴びせられていた。 恋愛も当然、うまくいかなかった。 女性との出会いはあったものの、彼の会話の半分以上が「今日の特急あずさの迫力」や「新幹線の美しい流線型」についてだったからだ。 「恋愛結婚も、どうでもいい」と彼は思っていた。 しかし、それでも社会の圧力に屈しないわけにはいかなかった。 テレビをつければ性欲を煽るような広告が流れ、街を歩けばラブホテルの

    性欲と撮り鉄欲が入れ替わった世界
  • 子育て終わった!やったーー!!【問い合わせに関する追記】

    7/11 なんかツイッターの有名な方に拡散していただいたようでありがとうございます!!!とんでもないことになってしまった… 子育て終わった開放感で書き殴った日記がこんなことになるとは思ってもみませんでした。 取材に関しては、別の媒体で内容を掲載されることで息子に微妙に違ったニュアンスでこの日記の内容が伝わってしまうもしれないリスクがあるので申し訳ありませんがお断りさせてください。 ひぇーーーー!なんかめちゃくちゃ読まれてる!!今更恥ずかしい!! お祝いのコメントありがとうございます!!! めちゃくちゃ嬉しいです!!! 子どもはインスタとかビーリアル(ビリアル?かどっちか)をちょっとしかやってないらしいし、仕事に関する勉強で忙しいらしいからこの日記も読まれないと思ってはいるけど、もし読んじゃったら教えてね!!! 私が当は愛せるか分からなかったし子供産むの怖かったって話はちょっと前チラッとし

    子育て終わった!やったーー!!【問い合わせに関する追記】
  • タイミー疲れたよ日記

    こんど転職するのだが、見切り発車で仕事をやめた結果、次の仕事が始まるまで1か月ほど暇な時間ができてしまった。 2週間ほど休んだらもう休むのが嫌になってしまったので、せっかくなのでタイミーとやらを試してみようと思いついたときの話。 意外にも未経験だとできる仕事は少なく、やっと見つけたのは某化粧品とか日用品、掃除用品を作っている会社の流通倉庫でのピッキング作業。 朝から夕方までガッツリ働いても9000円いかないのには驚いたが、バイトなんて学生の頃以来なのでちょっと楽しみだ。 働いてみると、想像していたよりもずっとホワイト、というか巨大なシステムの一部として期待されていること以上のことは一切期待されていない、という労働環境なのでなかなか気楽で楽しかった。 休憩を抜くと7時間ほどハンドフォークを引っ張りながら歩きっぱなしだったが、毎日リングフィットをしているおかげかさほどダメージはなかった。 その

    タイミー疲れたよ日記
  • 祖父のお葬式で無双した

    おじいちゃんが亡くなって、もうすぐ2年なので二重の意味で供養する . 私はどこに出しても恥ずかしい陰キャでオタク。 更には、大金かけて入学させてもらった私立大を中退して実家に帰ってくる親不孝でもあった。 5歳下の弟は国立大へ入学後、大学院へ、卒業後は隣の県で、地元の有名企業に新卒採用された。 私はというと、実家から通える職場に何とか腰をすえて、朝から夜遅くまで働く毎日。 . 絵に描いたような出来損ないの姉と優秀な弟だが、おじいちゃんとおばあちゃんからみれば、どちらもかわいい孫だったようで、平等にかわいがってもらっていた。 あと、他にも孫は5人ほどいて、同じ歳の従姉妹たちは20代で赤ちゃん生んで若いママとなり、従兄弟たちは実家の事業継いだり、東京で仕事したり、そんな感じ 親戚の集まりでも、叔父さんたちから、アネちゃんは…とりあえずいい人見つけて、早く赤ちゃん生まなきゃね…😅みたいに言われて

    祖父のお葬式で無双した
  • 最後の投稿です

    16年と半年前、57歳になったばかりの2007年の9月に初めての投稿をしました。その2ヶ月くらい前から閲覧はしていた気がしますが閲覧履歴のようなものはないためわかりません。 ちょうどその頃、勤務していた会社で役員に昇格したばかりでした。法学部を卒業し新卒で入社して以来、ひたすら営業畑にいた私が役員になってから与えられたのは情報システム部を含むIT分野でした。 その10年前ごろから会社にパソコンが導入され始め、総務部門にいた同期が悪戦苦闘しており「大変そうだな〜」なんて気楽に思っておりましたが、まさか自分がそれらを統括する立場に置かれるとは思いませんでした。 IBMが主催する勉強会に参加したり、書籍を購入したり、パソコン教室にも通い、DELLデスクトップPCを購入して大学生だった息子に助けられながら設定をしていました。 インターネットを徘徊する中で見つけたのがはてな匿名ダイアリーです。 結

    最後の投稿です
  • 大雪の東京で女子高生たちが誕生日を祝っていた

    当にただ事実はそれだけなんだけど、彼女らは最高!と叫ばんばかりに楽しそうで印象的だった。 東京は大雪で、4年ぶりに警報も出たんだとか。 井の頭公園の池の水は抜かれていて、普段は空の青と木々の緑、底の土を混ぜた濃い色をしているのに、今日は真っ白だ。 真っ白な池は新鮮で、RPGでダンジョンのパズルを解いたら出てくるみたいな、レアで幻想的な景色だった。そういえば4年前も同じ景色だった、と書きながら思い出した。 そんな大雪を控えながら、僕は会社に出勤してたけど、自宅勤務許可が出たので堂々と帰ってきた。会社には2時間くらいしかおらずネットサーフィンしてただけ。最寄り駅まで帰ったはいいが、僕は自宅が前世に罪があるのかと思うほど極寒なので、駅近くのカフェで作業をしていた。カフェに入ったら数人の同じような人が居てあなたも大変ねぇ、と目配せがあったような、なかったような。 雪が強まってきた昼の奥、女子高生

    大雪の東京で女子高生たちが誕生日を祝っていた
  • 男だけど職場で「性的な視線」に晒された

    刑務所とか自衛隊宿舎とか男子校とか、そういった閉鎖的な空間で男だけで過ごしてると、次第に同性を性的な視線で見るようになる。そういう話があります。 はっきりいって、全然信じてませんでした。そんなわけないと思ってました。都市伝説みたいなもんだろうと。 でも今は完全に認識が変わりました。 男はいとも簡単に男に欲情します。環境次第で簡単にぐらぐらになっちゃう生物です。それを僕は身をもって体験しました。 3月末まで夜勤のデータ入力のバイトをしてたんですが、そこがまさに男の園みたいな職場でした。ビルの一室にスーツ姿の男が50人以上集まり、ひたすらパソコンに向かってデータを打ち込む。そういう環境でした。女性はひとりもいませんでした。 働き始めて数週間すると、どうも周囲の僕に対する接し方が不自然になっていることに気付きました。異様に冷たい人、あからさまに避ける人がいる一方で、照れくさそうに顔を赤らめながら

    男だけど職場で「性的な視線」に晒された
  • 訳あって廃ビルの地下に一ヶ月住んでたことがある

    2階や3階は別の人が住んでた ダンボールかき集めて半額の弁当で飢えをしのいでいた 先住の人にいろんな話を聞いたり、焚き火を囲んでワンカップを飲みながら昔話をしたり 「お前はまだ20代なんだからこんな生活に慣れちゃあかん。早めに出て行けよな。」と事あるごとに言われてた。 決心がついて出ていくとき、仲の良かったじいさんが腕時計をくれた 親父の形見で、最後の最後までこれだけは質入れもできんかった (大したカネにもならんしな、と笑いながら) 当は子供に託したかったが、嫁も子供もどこにいるかもわからん だから預かってくれと。 何のことはない、シチズンの普通の腕時計だった あれからもう20年以上経つ とっくにビルは無くなっているし、自分は家庭は持っていない弱者男性に変わりはないが それでも毎日それなりの人生を歩んでいる 玄関にじいさんのシチズンを飾っている 電池切れか故障かわからないが、もう止まって

    訳あって廃ビルの地下に一ヶ月住んでたことがある
  • いち神戸市民の暮らし【下の方に更に追記】

    【ここから文】 私は神戸で生まれて育ちました。昔は裏六甲の北区で、今は海側の住宅街に住んでいます。 他の街は分からないけど、神戸は海も山も都会も田舎もあるいいところだと思っています。 子供のころはよく洋裁が得意な祖母が作ってくれたワンピースを着て、祖父に連れられて王子動物園と須磨海浜水族園に連れて行ってもらいました。 この夏は当に暑くて、灘湾にもくもく立っている入道雲が憎たらしかったです。 神戸都市部の排熱が、全部六甲山から吹く風に淡路島の方まで流されて、雨雲になります。 淡路島の人には少し申し訳ない気がします。ごめんなさい。 こないだ、三宮でコーヒーと紅茶を買って、南京町で老祥記の豚まんを買いました。 育った街だけど、居留地のビルの合間はいつも迷子になります。 山か海が見えると方角がわかるのですが、ビルに囲まれてしまうとたいてい、南北逆になってしまっています。どこにいても山が見えたら

    いち神戸市民の暮らし【下の方に更に追記】
  • 6歳のとき、友達のマホちゃんが誰も履いていないようなフリフリのスカート..

    6歳のとき、友達のマホちゃんが誰も履いていないようなフリフリのスカートを履いていた。みんなは可愛いねと言ったけど私は変だと思ったから、変だねと言った。マホちゃんは怒って泣いた。 8歳のとき、父親が知らない女の人といるのを見た。私はそれを浮気だと思ったから、晩御飯のとき二人にそれを伝えたら、数カ月後、両親は離婚した。母親は一言私に、アンタのせいよとだけ言って、それ以来父親の話をしなくなった。 14歳のとき、マホちゃんが好きだと言っていた先輩に告白された。マホちゃんがあなたの事好きらしいので、と断った。それを伝えたら、マホちゃんは怒って泣いた。 16歳のとき、初めてのバイト先で品出しをしていたらパートの人からバックヤードに呼び出された。私の品出しの仕方が間違っていると話し始めた。私は慌てて商品のところに行って、直してから退勤した。それ以来パートの人から無視されるようになった。 18歳のとき、美

    6歳のとき、友達のマホちゃんが誰も履いていないようなフリフリのスカート..
  • ホストやってたけど普通はサイコパスになれんよ

    俺はホストやってたけど、人間的に騙しまくるのは無理だったので辞めた。 まずホストに来る女は全員病んでる。必ず病んでいる。初回というのがあって金額が安いので「物は試しに」などと言う輩もいるが、基的に何かしら心に闇を抱えていることが多い。それを「ホストに来さえすれば解決する。こっちは客だぞ」と思っていることが多い。 色んなホストで初回ばかり来るやつは初回荒らしと言われる。こういうやつは基わかる。まず金を持っていない。金を持っていないのにも関わらず頼み慣れている。観光のような形で来るやつらだ。こういう相手には基的にホスト側も全力で行かない。ゴミ客のような扱いでとりあえず義務的にやる。 ホストは女の金を見ている。服装から風俗嬢か、一般人かなどを見ている。一般人で1人で来るヤツは比較的狙い目だ。普通は1人でホストになんか来るわけがないからだ。友達がいない・繋がりがないことを証明している。 ホス

    ホストやってたけど普通はサイコパスになれんよ
  • 初恋の人が結婚した

    高校時代からずっとお付き合いをした、初恋の人が結婚した。 結婚式に高校時代の友人として参列してきた。 彼は将来実家の会社を継ぐという目標があったから、 大学は県立大学に進学。卒業後は県庁で働いている。 私はデザインを勉強するため上京して、にまで進んで、東京で広告代理店に就職した。 広告の仕事は東京中心だ。広告の仕事が好き。この仕事をずっと続けたい。 こっそりやってるイラストレーターの仕事も軌道にのって、 友達と一緒に共同のイラスト展を開けるようになった。 楽しかった。 同時に、こっちで仕事するならこの人とは結婚はできないとは感じていた。 彼も同じように感じていたようで、話し合った末結局別れた。 あー好きだけじゃ結婚できないんだなーって思った。 それでも、嫌いになってわかれたわけじゃなかったから、なんとなく好きなような そうじゃないような気持がずっとつづいてた。 結婚式披露宴での余興の「新郎

    初恋の人が結婚した
    temimet
    temimet 2023/03/26
    読後感がとても良い
  • 娘が大学に合格した。 我が子ながらお世辞にも賢いとは言えない子で、優し..

    娘が大学に合格した。 我が子ながらお世辞にも賢いとは言えない子で、優しく健康にさえ育ってくれれば、と思いながら子育てをしてきた。 娘が中学生の頃、東大王というテレビ番組をよく観るようになった。学校で流行っていたらしい。 娘はその番組に出ている鈴木光さんという東大生の女の子のことが特に大好きだった。 彼女の出ている番組や雑誌は必ずチェックし、今日も光ちゃん可愛かった!あの難しい問題も正解してて凄かった!と嬉しそうにしていた。 彼女は常に学業を優先していたようで、試験勉強のためにとしばしば番組を欠席していた。 そんな姿も娘の目にはカッコ良く映ったのだろう。娘は彼女に憧れてか、よく勉強をするようになった。 最初こそカラフルなペンでノート作りをするだけの効率の悪い勉強をしているようで大変もどかしかったが、やっていくうちに要領を得ていったようで徐々に学校の成績は好転していった。 何年か前、鈴木光さん

    娘が大学に合格した。 我が子ながらお世辞にも賢いとは言えない子で、優し..
  • 実父 不明 実母 覚醒剤中毒の立ちんぼ(布団を敷いたリビングが仕事部屋..

    実父 不明 実母 覚醒剤中毒の立ちんぼ(布団を敷いたリビングが仕事部屋) 継父 覚醒剤の売人、気づいたら失踪してた。 という環境で育った。 学校には通わず同じ地区の同い年の奴らと10歳くらいから恐喝や窃盗などで小遣いを稼いでいた。狙うのは脛に傷があって騒げない奴。何回も捕まっていたが初めて少年院に入ったのは14歳。 2年半ほぼ独房で団体寮に行くことなく卒院。その後は地元の先輩たちのパシリをやっていた。借金の取り立てやヤキ入れ、攫いが多かったが、箱での電話やタタキをやらせてた債務者に発破かけたり監視したり、飛ぼうとした奴へのヤキ入れも多かった。タタキは民家は狙わず、ケツモチのいないキャバクラ、ホスクラ、ガルバ、デリヘルを狙う。スタッフのいる時間を狙って襲わせ、事務所まで案内させて系列の金庫ごとがっぽり頂く。 派手にやり過ぎたため目をつけられ、証拠が無くパイになっても別件で引っ張られるというの

    実父 不明 実母 覚醒剤中毒の立ちんぼ(布団を敷いたリビングが仕事部屋..
  • 出ていった息子の部屋を整理している

    都会に出ていってしまった息子の部屋を片付けるべく母親の私が整理している。 私に似て玩具好きに育った息子は沢山の置き土産を残していった。押入いっぱいのおもちゃだ。 値のはる物は人がある程度売っぱらったので「残りは捨てても売ってもいいよ」と託された。 現在は絶賛無職の専業主婦、そしてヤフオク歴20年の“粗利は100円でもあればいい女”の私は売るほかなかった。最近はメルカリのほうもよく売れる。 息子はとにかく玩具を“見つける・選ぶ・買う”ことが好きで、開封して一度作ったり弄れればもう放置する人間だったので押入はバラバラになったプラモやフィギュアやらが袋や箱に入れられて佃煮のようだ。 まず箱を用意してそれぞれにトランスフォーマー 、特撮系、ボトルマン、ガンダム系、ベイブレード、ナーフ…と張り紙をしてそこにぶっ込んでいく。特撮系は嵩張るので3箱になった。 わかりやすい物は分類しやすいが分解しやすい

    出ていった息子の部屋を整理している
    temimet
    temimet 2023/01/16
    血筋を感じるな
  • 中古品を買う習慣が抜けない

    貧しかった学生時代の名残だろうかと思いながら生活してきたが、30代になっても全然変わらない。それどころか使い古されたものの方が好きになってしまった。中古品には誰かの影が残っていて、耳を傾けるとものを言う。昔の何気ない日常を熱心に語る。そういうのを聞くのがすごく好きだ。 車も中古車だし、服もも半分は中古だ。椅子は中古のコンテッサ。パナの加湿器もモンベルのテントもクリステルの大鍋も中古。これは蓋が別売りなのだが、それも中古。鏡面仕上げの隅に磨き傷がある。その他に目立った傷はない。気軽にクリームクレンザーか何かでひと拭きしたところで、粒度が粗すぎたことに気づいたのだろう。 フェールセーフは機能したが、蓋を閉めるたびに自分のミスを突きつけられているようで我慢ならなかったのだ。ところが私は他人である。他人の些細なミスを引き受けるのは容易い。その蓋は「来そういうもの」なのだ。少し奮発してぴかぴかの

    中古品を買う習慣が抜けない
  • 大事なオカマのおじさんが死んだ

    さっき葬式に出た。まだ気持ちの整理がついていない。 オカマのおじさんというのも変な呼び名だが、友達に話すときはいつも「オカマのおじさんがさぁ」と言っていたのでそのまま書いてみる。 22くらいの時に、路上で泣いてる私を気に留めて話しかけてくれ、あったかい飲み物をくれたのがきっかけで知り合った。 お金もなく仕事もうまくできず、適応障害っぽくなっていろんなことがうまくできなくて、繁華街の隅っこで静かに嗚咽してた時にパーっと寄ってきて世話焼いてくれた。今考えてもちょっとウケる。歌舞伎町やぞ。ただの酔っ払いの可能性もあるのに、私が泣いてる感じがしたから声をかけてくれたんだそうだ。 おじさんはオカマだが(ゲイ)、その時たまたま女装していただけで普段は男の格好をしていた。缶に入ったお茶かなんかをもらってそれで手をあっためて、感情失禁みたいになってた私は自分の置かれた状況を聞かれてもないのにただ話した。お

    大事なオカマのおじさんが死んだ
  • 迷子の犬についていったら飼い主の家についた話

    10年以上前の話。 友達の家のあたりで遊んでいたら、大型犬がリードもつけず歩いているのを発見した。 野良犬なんて滅多にいない時代だったし、飼い主らしき人もどこにもおらず、二人で迷子だろうと結論付けた。 小学校高学年あたりだったけど、隣に並んで立つと私の腰くらいの大きな犬だった。犬が立ち上がれば私と同じぐらい、いやもっと大きいかもしれないと思った。もうあまり覚えてないけど毛並み的にゴールデンレトリバーぽい感じの犬種だったと思う。 笑顔に見える人好きのする顔で、全く吠えず人懐っこい犬だった。 よく吠えられるせいで犬に近寄れない私でさえ怖がらず撫でることができた。 首輪をみると名前しか書いておらず、悩んだ私たちは交番まで連れて行くことにした。 なのに、犬は道がわかっているかのようにスタスタとどこかへ歩き出した。まるで私たちがついてきてるか確認するように振り返りながら。 私たちは好奇心でその犬につ

    迷子の犬についていったら飼い主の家についた話
  • 2004年~2010年くらいの時期をオタクとして過ごしてた

    懐かしさを感じて切なくなって涙流した経験なんて今まで一度もなかった。 みんなは感動の比喩表現として"涙流した"って自己申告してるだけだと思ってた。 でも、この前 ひょんなことからYouTubeでハルヒOP(冒険でしょでしょのやつ)を久しぶりに見たら懐かしくてたまらなくなり、 そこから今度はひぐらしのED(why or why not)とか探して見てなんか止まらなくなって、 数珠繋ぎ的に2002~2006年あたりのI've sound全盛期の曲を超久しぶりに聴きまくってたら当に涙止まらなくなった。 大学でサークルにも入らず、課外活動なんぞせず、友達なんて1人か2人しかできなくて、 基的に2コマくらい授業出たらもうやることなくなってしまって、 用がないのにiPodにしこたま入ったエロゲーソング聴きながら無意味に大学敷地内とか図書館とか生協をほっつき歩いて、 たまーに麻雀の誘いがあったら吉祥

    2004年~2010年くらいの時期をオタクとして過ごしてた
  • 一人暮らし

    12月から一人暮らしを始めた。 初めの1週間は、まず生活ができるくらい日用品等を揃えることで結構疲れた。 少しすると寂しくなったので、クリスマスが終わると実家に帰りそのまま年を越した。 仕事があるので家に戻ったが、やっぱり寂しくなったのと、祖母が亡くなったことも影響しメンタルがちょっとブレたので、彼氏の家に5日間ほど入り浸った。 そして数日前、家に帰ってきた。 すると、なんだか初めて自分の一人暮らしの家が快適に思えた。自分のだけの城。自分で稼いだお金で買い揃えた物たちに囲まれて、少しだけ自分に自信が持てた気がした。大袈裟だが、この世界で生きていける気が初めてした。 フルリモートのためか、運動不足か、最近寝つきが悪いので、仕事が終わると外に出て散歩をしている。 今日は隣駅まできた。ドンキホーテでボディクリームを買い、スタバに寄った。 お姉さんが抹茶ラテにハートのラテアートをしてくれて、思わず

    一人暮らし