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バラエティー番組などでグラビアアイドルとかが、男性お笑い芸人に「キモイ」と言う。 そう珍しくもない光景である。私も何度か目にした。 一方イケメンタレントが、女性お笑い芸人に「キモイ(ブスとかでもいいけど)」とか言っているシーンはあまり見ない。少なくとも私は見た事が無い。イケメンタレントが女お笑い芸人に迫られても、ちょっと困った顔をしつつ優しく接する所しか見た事がない。 この差は一体なんだろう? 「女はいつも女という種として(性的な存在)として見做される」この様な言説はブログを読んだり、書いたりしている人なら誰しも(嫌という程)目にしてきたであろう。そしてこれは、おおむね事実である。*1 女として性的な視線に曝されるのは、なにも「若く美しい女」だけではない。 世間には様々な「性的な視線」が存在する。 例えば「人妻フェチ」や「熟女専」「デブ専」 これらはそれを専門とする風俗店が存在する程度には
久し振りの更新です。 前回の記事に書いた(とてつもなく前の事ですが)「『恋愛出来ない、したくない』という人は駄目人間である」という抑圧の事を考えていたら、こんなに時間が経ってしまった。 と言うのは嘘で、本当は考えているうちにどうでもよくなってしまったのである*1。 結局の所、私の中には「恋愛したい」という欲求は見つからないし、周りからの抑圧というのも「関係ない人が何か言ってる」くらいで、軽くスルーできてしまうようなものだったのだ。 だからと言って、そうした抑圧は無いのか? というとそうではない。 上記はあくまでも「私の場合は」の話であり、それは私がアセクシャルで「他人にどう思われても別にいいや」と思える図太い神経の持ち主だったからというだけの話で、そうではない人「世の中からの『恋愛できないなんて…』というプレッシャー」を感じてしまう人は、確実に存在する。 しかし「恋愛ができないくらいで差別
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