サラエヴォのときのあの距離感――どうすることもできない「手の届かなさ」と、それ以前の「自分の知識のなさ」、「思考力と想像力のなさ」――は、1992年末から93年初にかけての時期のロンドンでのある本当にささいな出来事の経験を経て、私にとって明確なトラウマになっている。当時、もしインターネットが使えていたら、ということはこれまでも考えた(もしブログがあったら、もしYouTubeがあったら、もし撮影可能な携帯電話があったら……)。今思うのは、もしTwitterのように、個人と個人が細かい情報をやり取りしつつ、マスに広がっていくことのできる仕組みがあったら、ということだ。 (チュニジアは言葉の壁でスムーズな体験ができていないのでちょっと措いておいて)この1月~2月の「エジプト」以降、「現地から個人の情報が、他者(新聞の記者、編集者など)を介さずに、自分の手元に直接流れてくる」状態が完全に普通になっ