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SFと価値論に関するterazzoのブックマーク (1)

  • 古典について - 視基aB

    私自身はクオリア信者なので、作品の価値(とは口にしないがもしそれに言及しなければ殺す、と脅されたら)は私が作品から受けるクオリアによって規定されるもの、と想定している。ということはつまりすべての価値は「今 + 私」(何時の、誰)に束縛されているということなのであり、価値について話すことは半分以上が今と私についての説明になる、という立場ですが、しかし世の中にはそれとは違った価値についての言い方があり、私はそれらの言い方全般に対して敵意を抱いているので、攻撃を開始したい。まずは簡単なところで、「10年後には完全に忘れ去られている」について。 「今は広く受け入れられていないが、十年(4世紀)後にもある程度受け入れられている」と、「今は広く受け入れられているが、十年(4世紀)後には忘れ去られている」は対称になっており、前者は時間軸に沿って、後者は時間軸に直行する形で受容が広がっている、前者は「私(

    古典について - 視基aB
    terazzo
    terazzo 2006/03/10
    古典=時間軸に沿った普遍性、流行り物=空間軸に沿った普遍性。だがライブは今・ここに凝縮する固有体験ではないか。
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