私自身はクオリア信者なので、作品の価値(とは口にしないがもしそれに言及しなければ殺す、と脅されたら)は私が作品から受けるクオリアによって規定されるもの、と想定している。ということはつまりすべての価値は「今 + 私」(何時の、誰)に束縛されているということなのであり、価値について話すことは半分以上が今と私についての説明になる、という立場ですが、しかし世の中にはそれとは違った価値についての言い方があり、私はそれらの言い方全般に対して敵意を抱いているので、攻撃を開始したい。まずは簡単なところで、「10年後には完全に忘れ去られている」について。 「今は広く受け入れられていないが、十年(4世紀)後にもある程度受け入れられている」と、「今は広く受け入れられているが、十年(4世紀)後には忘れ去られている」は対称になっており、前者は時間軸に沿って、後者は時間軸に直行する形で受容が広がっている、前者は「私(