おおよそごはんの擬人化においては、みながみなお茶碗に顔を描きやがりますけれども、いやそれ違うだろう。それは違うだろう。それじゃぁご飯の擬人化じゃない。お茶碗の擬人化である。 いや確かに擬人化絵師の言い分もわかる。ごはんてきな存在は、ハチやアリのような社会生物的扱いが妥当であり、であればこそ代表となる“顔”はお茶碗に描くべきなのだ、実際おれたちが接するときコメ一粒一粒と対話していないじゃないか? お茶碗一杯、二杯という接し方じゃないかという主張なのだろう。 言い分はわかるけれども。わかるけれども、それは人間側の都合だろう? あなたがごはんをそう“見たい”からそういうロンリ、米=お茶碗というロンリを振りかざしただけであり、ごはんつぶらにしてみれば十把一絡げではなく個人個人で見て欲しいと思っているのである。 お米たちは嘆いている。 そう。あなたがごはんつぶをごはんつぶたちとして見ずにお茶碗単位で
センサーを組み込んだコントローラで、実際のスポーツの動きに近い入力ができるWiiが評判になっているが、もっと自由なインタフェースを試しているデモの動画があった。 声を上げるとパワーが溜まったり、好きな武器を使うとそのままゲーム画面に出たり、ジャンプなど実際のプレイヤーの動きよりも誇張された技が出たり、というもの。 両側にゲーム画面があるのは、プレイヤーがどちらを向いていても遊べるようにするためだろう。理想的には四方や上方にもディスプレイが必要なのかもしれない。 最後の方の二人プレイは、さすがに無理がある。プレイヤー同士が現実世界で干渉してしまうからね。 この記事は移転前の古いURLで公開された時のものですブックマークが新旧で分散している場合があります。移転前は現在とは文体が違い「である」調です。(参考)記事の内容が古くて役に立たなくなっている、という場合にはコメントやツイッターでご指摘いた
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