迪化街をウロウロしているうちに日が低くなってきていた。とろんとした黄昏の光が道に降り注いでいた。路面は黄色に輝いていて、道を走る自動車たちはシルエットになっていた。多くの人が家路に就く時刻だ。でも僕は家路に就くことはない。僕の家はここから遙か遠くで、仮の住まいに戻るにはまだ時間が早い。 黄昏に染まった道を眺めていると、一日が終わりつつあるのを感じる。そして何故だか分からないけれど、子どもの頃を思い出す。今実際にいるのは異国の地なのに。黄昏には郷愁に浸らせる力があるのかもしれない。
行天宮は台北にある関帝廟で商売の神様である関羽が祀られている。出来ることならお金持ちになりたいと願う人はどこの国でも多い。そのため台北観光の目玉のひとつでもある関帝廟は連日賑わっている。やってくるのは観光客よりも地元の人の方が多いように見える。 参拝客が出入りする入口よりも立派な扉が設けられているものの、その扉はしっかりと閉じられていた。反対に回ると太い閂で閉じられているのが分かる。鮮やかな朱色に塗られた扉には乳鋲のような飾りが幾つも付いていた。まるで侵入者がこの扉から侵入してくるのを防いでいるかのようだ。 扉の上に目を向けると扁額が掛けられていて、寺院の名前が書かれていた。両脇の柱には彫刻が施されていた。御祭神である関羽はこの扉のちょうど向こう側に鎮座しているのだけれど、人間が中に入るには脇にある小さな扉から入らなければならない。神様の真正面から入るのは不謹慎なのだろう。正中を避けるよう
国父紀念館の廊下では大勢の人が太極拳に興じていた。屋根があって、エクササイズをするにはちょうどいい場所なのだろう。 その中にはお揃いの服装の一団もいた。もちろん、この集団は太極拳を行っていた。写真の男性と女性もその集団のメンバーだ。仲間と一緒に太極拳を行っている。周囲には音楽などリズムを計るものは一切流れていないのだけれど、みな同じようなリズムで行っている。まるで、呼吸を合わせて踊っているかのようで、見ていて楽しい。パンチを繰り出すタイミングもやはり同じだった。
お堂の屋根の端に龍がいた。空を見上げている。その活き活きした姿は今すぐにでも屋根から飛び立ってしまいそうだった。でも、残念ながらこの日は天気が悪い。こんな日に空を飛び回っても、あまり心地よくないかもしれない。 この国では、日本と違って道教の寺院が多いのだけれど、道教の寺院には必ずと言っていいほど龍の彫刻が屋根の上に設置されている。道教においては、龍は水と天気を司る神様なのだ。そのため、屋根の四方に置かれていることが多いようだ。
ウロウロと町を徘徊していると、年配の女性が歩いているのが見えた。女性は地元の人なのだろう。迷いなく細い路地へと入っていく。そこで、僕は女性の後ろを追いかけるように路地へと足を踏み入れることにしたのだった。路地の方がは背の高い壁になっていて、反対側に古い家屋が建っている。知らない町のこんな路地に入るのにはちょっと勇気がいる。なにせどこに抜けるのかも分からないし、そもそも通り抜けられるのかも分からない。 そんな僕の不安をよそに女性はどんどん進んでいく。女性の頭上には茶館と書かれた看板がかかっていた。お茶好きとしてはちょっと気になる看板だ。でも、路地に入るだけでも勇気がいるのに、その路地にひっそりと立つお店に入る勇気はもう残っていなかった。
白いヘルメットをかぶった儀仗兵が台北にある忠烈祠の前で向い合って立っていた。もちろん微動だにしない。じっと見ていても、動くのは瞼ぐらいで、まるで銅像のようだった。見ているとスタチューを演じる大道芸人を思い起こしてしまう。 じっとしている儀仗兵とスタチューを演じる大道芸人はかなり似ている。国家のために行うのか、エンターテイメントとして行うかの違いがあるものの、どちらもピクリとも動かない。そう考えると儀仗兵は仕事を辞めても、すぐに優秀な大道芸人になれるに違いない。ただ儀仗兵には側に世話係がついて、動かなくともハンカチで汗を拭いたりしてくれたりするのに対し、道端で行うスタチューの場合には全てを自分で行う必要があるかもしれないけれど。
九份は山間にある小さな集落だ。古い町並みが残っているこの町は、今では立派な観光地になっている。山肌に細い路地が巡らされていて、散策するにはもってこいだ。ただし、空いていればだけれど。台北から日帰りで訪れることのできる九份は僕のような観光客で混んでいるのだった。 町中には急な階段があった。女性がその急な階段を下りている。1段1段慎重に下っている。ヒールのある靴なので階段を歩くのは難儀そうだった。ふと、階段の上に目をやると、そこには幾つもの看板が掛かっていた。
行天宮の中庭を囲むようにして机が置かれていた。机の上には書見台が置いてある。ここは読経するための場所のようで、お揃いの制服に身を包んだ信徒たちが経典を読んでいた。勉強部屋のような雰囲気が醸し出されていたものの、勉強部屋ではないので先生や師匠に相当する人の姿は見当たらない。みな単独で読んでいるようだった。よく分からない箇所に行き当たったら誰に聞けば良いのだろう。 柱を見てみると、経典からの抜き出したと思われる文章が書かれていた。もちろん中国語だったので、何が書かれているのかは分からない。たぶん、ありがたいお言葉なのだろう。
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