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lifeとreligionに関するtetzlのブックマーク (2)

  • 浄土真宗の僧侶です。初めて書き込みます。 不慣れなため、先ほど書いた..

    浄土真宗の僧侶です。初めて書き込みます。 不慣れなため、先ほど書いた文章がすべて消えてしまい心折れかけましたが、やはり大事なことなので、増田さんに伝わればと願って改めて書き直します。 お祖父様のことをお悔やみ申し上げるとともに、今回このような形で、増田さんやお母様が悲しまれる結果になってしまったこと、痛惜に堪えません。 結論から言わせていただくと、リモート葬儀それ自体に否はありません。そんなもので台無しになるのが仏の教えならば、仏法は2500年も受け継がれたりなどしません。 私から言わせれば、死者を軽んじ、葬儀を台無しにしているのは、ご親族の方だと思います。 葬儀とは「弔(とむら)い」であります。弔いとは元来、「訪(とぶら)い」という字を用いました。これは遠近様々な場所から死者の元へと人々が訪れる様子を意味していますが、決してそれだけではありません。 死者に出会うということは、まだ生きてい

    浄土真宗の僧侶です。初めて書き込みます。 不慣れなため、先ほど書いた..
    tetzl
    tetzl 2021/01/15
    すごいな。宗教家は言葉を扱うプロだなと改めて。
  • あのとき神様がいなくなり、意地悪な私だけが残った。(7500字)|小池みき|note

    WEBメディア現代ビジネスに、「「スピリチュアル女子」をあざ笑うすべての人に言いたいこと」というコラムを寄稿した。スピリチュアルビジネスにハマる人々をやたらと冷笑するのはやめた方がいいのではないか、という内容である。 ただそれだけのことを言うために、当初はだらだらと1万字以上もの文章を書いていた。もちろんそこから大幅に削り込んで、寄稿したコラムはできあがっている。そして以下の文章は、削り落とした文章をもとに書いたものだ。 これは今考えれば、私がスピリチュアルビジネスに関心を持つ理由であると同時に、私の精神的・社会的活動の原点だという気がする。コラムの裏話として読んでいただけたらと思う。 * 私がスピリチュアルを笑えないのは、10歳のときに神を失ったからだ。 などと書くとあまりにも陶酔的でこの文章自体が失笑ものだけど、私にとっての事実をうんと短縮するとこういうことになる。 1996年の秋に父

    あのとき神様がいなくなり、意地悪な私だけが残った。(7500字)|小池みき|note
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