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ブックマーク / www.nonsensecorner.com (2)

  • 独り言v6 » 新卒採用にこだわって多様性のある人材獲得ができない企業は滅びる

    昨今の「ゆとり世代」の学力が低い、というのは彼らが馬鹿かどうかとあまり関係がない可能性が高いという計算をしたことがある。というのも単純で、ゆとり世代は進学率が高いからだ。Wikipediaの進学率によると、1989年に25%ほどだった進学率は、2009年ではなんと50%を越えているという。 この25%と50%の差がどのくらいの大きさになるかというと、適当にガウス分布っぽいソースを作成し、その上位25%と50%の平均値を取ってみればいいだろう。元ソースとして1-100の乱数を3回出してその平均を取って作成した場合、結果は上位25%の場合71.3ポイント、一方50%なら63.5ポイントとなった。約8ポイント下落したことになる。 偏差値で言うとこのソースの標準偏差は16.6、平均は当然50なので、計算すると62.8から58.1に落ちたことになる。実に4.7ポイント。もちろん同一集団を仮定している

  • 高校や企業と理系大学の間にある、価値基準の深い溝 | 独り言v6

    価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれない -価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれない - 発声練習. この文章の主題は「他人の移ろいやすい価値観に惑わされるのではなく、精神的に背骨が通ってないといけないよ」というもので、良くできていて、とても耳にいたい。だけど、何故か違和感がぬけない。微妙にしっくりこないように感じる。 例えば、この文面は芸術家にとって半分正しくない。芸術にとっては、作品そのものやそれを生み出すプロセスに対して、「精神的な背骨」が通ってないといけない。しかし一方で、芸術にとって自分の外「だけ」が唯一絶対の価値判断基準である。どれだけ背骨が通っていようが、聴衆に評価されない芸術には何の価値もない。聴衆がどれだけ間違っていて、芸術家がどれだけ正しかろうが、だ。 #ただし、聴衆は変わりうるので、一度ダメだからと言って常にダメとは限らない。死後評価されるなど

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