アンサンブル・ポエジア・アモローザ (プリンチピ・ヴェネツィアーニ 協力) Piangete occhi 瞳よ 涙を流せ 〜17世紀イタリアの宗教的な歌〜
アンサンブル・ポエジア・アモローザ (プリンチピ・ヴェネツィアーニ 協力) Piangete occhi 瞳よ 涙を流せ 〜17世紀イタリアの宗教的な歌〜
ちょっと今さら感が出てきたのは重々承知で、今年のM-1グランプリの感想を書く。漫才は日ごろほとんど見ず、この1年間は家にテレビすらない。けれどM-1だけは初回分から繰り返し見ている、という程度の人間の雑感。 一昨日のエントリーにも書いたけれど、M-1は「コンテスト」だ。つまり(明文化されてはいないものの)何らかの評価基準が存在していて、それをいかにみごとに消化したかで勝敗が決まる。ボケの難度・手数、ツッコミのバリエーション、声の張り方、4分間での緩急などさまざまな項目が用意されていて、基本的にはそれらを一つ満たすごとに「笑い」が高まるというシステム。今年の何がすごいって、この「M-1はコンテストである」という文脈を、つまり笑いの陰には様々な審査基準が存在するのだし審査員はただ笑っているのではなくそれらを逐一「チェック」しているのだ。ということを観客が見事なまでに熟知して視聴に臨んだことだろ
「若者の海外旅行離れ」という話をよく聞く。それがホントなのかどうかは別の検証にまかせるとして*1、今日は別の視点から考えてみる。 というのも、この話に関して聞くのは「なんで、最近の若者は海外旅行に行きたがらないのか」という方向の話ばかりだからだ。たとえば、 最近の若者は ・内向き思考だ。 ・知的好奇心に欠ける。 ・バイタリティや冒険心に欠ける。などなど。 ひどい人になると「若者が海外旅行をしないようでは、日本の将来が思いやられる」とかおっしゃる。でもね、一回反対に考えてみたらどうよ?と思う。つまり 「いったいなんで“昔の若者”はそんなに海外旅行が好きだったのか?」という方向の問いもあり得るはずでしょ。 たとえば・・ 1)ハイソ・ライフへの憧れ 昔の一時期、子供はやたらとピアノ(オルガン)を習わされた。これはその親の世代に「ピアノ=上流階級」というイメージがあったから。一方で今の親は、実家の
2009年11月09日放送の「伊集院光 深夜の馬鹿力」にて、三遊亭円楽の通夜に出席したことを明らかにしていた。 伊集院光は三遊亭円楽の弟子、楽太郎の元へ弟子入りしている。言うならば、伊集院は円楽の孫弟子にあたる。その円楽師匠が亡くなった、ということで通夜に出かけたそうだ。 だが、最初から通夜に行こうと思っていたわけではないそうだ。「通夜がおこなわれた日、千葉にドライブに出かけた。テンション上げてね。それは、あまり通夜のこととかを考えたくないから。でも、日本シリーズを観る前のニュースで、そのことが報じられていた。それで、また考えてしまったんだよね」 「そうしたら嫁さんが『行くんなら、送っていくけど』って言うんです。でも、冗談じゃない。どのツラ下げて行くんだよって話ですよ。それで、行かないって言って、日本シリーズをまた観ようかと思った」 「でも、日ハムが初回で三者三振してたんです。だから、この
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