この話はかなり盛大なブーメランがかえってきそうで怖いんですが。 「観客になる」のは「非日常」から自己を守るための儀式みたいなものでは。 http://d.hatena.ne.jp/inumash/20080608/p1 逆じゃないかなあ、と思う。「現場の動画や写真を撮」った人たちは、「非日常」から自己を守ろうとしたんじゃなくて、むしろ積極的に「非日常」の中に自己を投企させていったのでは。つまり、彼は(言葉の定義にもよるのだが)ただそこにいるだけでは「観客」である(ようにみえる)。しかし、動画や写真を撮ることによって、彼はまさにネットの前で待ち構えている我々(あえて我々という)「観客」に対する「当事者」になろうとしたのではないか。 youtubeやニコ動において、みんなが賞賛してきたインタラクティブ性というのはつまりこういうことなんだと思う。偶然センセーショナルな事件の現場に遭遇しました、と