だから「ネット/現実」の二分法はやめろと……――「ネット中毒」について – Thirのノート この人が私の書いたブログ(ネット依存について思うこと)に対してたいそう怒っているようなのだが、何度読んでも論旨がよくわからない。でもぶくまは結構集まっているし、同意している人もいるので、私の頭がおかしいのかなあと思いながら書く。 ☆ ★ ☆ この方がインターネットから離れた後、若者世代とインターネットを取り巻く環境は大きく変わった。それまでは、インターネットの関係というのは、ネットから出発して現実に「オフ会」として回帰する存在であったのかもしれない。しかし若い者の間では、LINEにもfacebookにもmixiにもTwitterにも、「オン」の友人と「オフ」の友人が同居している。 私がネットから離れてずいぶん長いかのように書いているが、現在進行形でネット時間が長いからこそ、もっと減らしたいと書
ネット依存について思うこと | blog.yuco.netについて。 インターネットが承認欲求を充足させるものであることは前に書いたこともあるが、私はそれ以上に「ネット/現実」という二分法を未だに続けていることを問題としたい。ちなみに、この件についてもかなり昔に書いたことがある。 上記記事の問題点:リアルとネットの切断をめぐって ロハスな生活をするのがそんなにエラいのか?ともかく、くだんの記事においては、インターネットを現実から遊離した存在であるという前提が貫かれている。その前提こそが、我々がまさに問題としたいところである。例えばこの記述。 クローズアップ現代で放送された韓国の子供のエピソード(親子関係に問題があり、ネットで親に対する不満を吐き出していた)を見て、やはりリアルに問題があって、逃げ場としてネット依存になるのだなぁと思った。単純にネットをn時間以下にするというより、リアルの問題
昨日、NHKのクローズアップ現代で「“つながり”から抜け出せない ~広がるネットコミュニケーション依存~」というネット依存に関する番組が放送された。ゲストは津田大介氏。内容についてはこのtogetterにまとまっている。 私も数年前からネット依存については思うところがあり、無駄なネット利用は減らそうとしてきた。関連のtweetをしたら加野瀬さんがまとめてくれた。これに対する反応も多く、ネットユーザーの関心が大きいテーマなのだなと思った。 一方で、今このエントリのために文章を猛然と書いているように、私の「書きたい欲」をネットは受け止め、発表場所を与えてくれた。いくらかの読者を得ることもできた。そうしてネットに表現したから生まれた人間関係もあるし、調べ物や買い物など便利に使っている部分もある。そういうネットの良さを享受しつつ、ネットにかける無駄な時間やエネルギーは減らしたいと思っているのだけど
サブメニュー Get the RSS Browse the Archive Random post Mobile version 当ブログの人気エントリ ★はてブ1500超えのエントリ 120131_52_フリーランスとか大手とか言ってないで「ソニーの開発18か条」を今こそ振り返ってみよう! ★はてブ500超えのエントリ 121015_78_音楽業界周辺で「CDがなぜ売れないのか」と未だに議論している人がいるので実際に最近CDを買った人の話を交えながら考えてみる ★筆者オススメのエントリw 120104_45_2012年の音楽業界のWeb&ソーシャルまわり動向予想と3つの変化について(前編) 111229_41_スタートアップに挑戦し、シリコンバレーを目指す若き日本人たちへ思うこと(ランディ・パウシュのスピーチを紹介しつつ) フォロー Monday, October 15, 2012 12
http://togetter.com/li/386912を見て。 根底としてのコミュニケーション不全 劇場版『魔法少女まどか☆マギカ』において、「子供が見て悲しい思いをした」という件、そこからつながる表現規制問題がTwitterを賑わせている。ただ、Twitterでは、「残虐な描写があるから見せるべきではない/分かるようにすべき」という議論が非常に多い。あるいはそれを超えて、「世の中とは理不尽なものであるから、理不尽な映画/理不尽な映画を見てしまうというシチュエーションも経験すべき」というような精神論まで飛び出す始末である。最初に言っておく。これは表現規制の問題ではない。 「残虐な描写があるから見せるべきではない」という態度は、あくまでも「大人一般が子供一般に対してどのような態度をとるか」という話であろう。そしてこの話は、「この程度では残虐ではない」「少しばかり残虐でも良い」という具体的
「全学連(全日本学生自治会総連合)」という名前には、2つの見方がある。かつて学生運動に身を投じた、60歳を超える人たちには善かれ悪しかれ大学時代を象徴する、学生運動の拠点。60歳から40歳くらいの人には、時代遅れの連中が左翼ごっこをする舞台程度にしか見ていない人が多いだろう。それより下の世代で知っているのは、いわゆる共産趣味者(左翼を観察する趣味の持ち主のこと)か、今なお残る(政治)活動家くらいではないだろうか。 現在5つある全学連の中で最大の規模を持つとされるのが、「民青系全学連」と呼ばれる全学連である。民青とは、正式名称は日本民主青年同盟といい、「日本共産党の導きを受ける」青年政治組織である。その民青が執行部で主導権をとるため、民青系と呼ばれる。その民青系全学連が近く解散する可能性が高くなってきた。 引導を渡すのは、「東京大学教養学部自治会」(通称「東C自治会」)だ。代々民青が執行部を
Google+のフォロワー数が話題となった坂口綾優氏が「studygift」(http://studygift.net/home.php)なるサービスで学費支援を求めていることが話題となっている。このサービスに対する批判というのを一通り見てみると、 なんで奨学金を停止になるの?頭悪いの?ちゃんと理由説明しろよ? 目立つ学生しかどうせ金集められないでしょう? 本当に困っている学生に渡したいんだけど? 結局「学費」ってのは隠れ蓑なんでしょ? が大半を占めている。つまり「学費が欲しい」という『崇高な目的』に対しては、それをネット上で集めるための『正当な理由』が必要となるが、彼女は『正当な理由』を有していないか、あるいは別種の目的を「学費」によって覆い隠している、という批判であろう。 「クラウドファンディング - CAMPFIRE (キャンプファイヤー)」などと異なり、本サービスは気に入った相手に
ちょうど一年前、私はてんかん患者の社会的地位についてなぜ彼はクレーンに乗らなくてはならなかったのか - Thirのノートにて記した。 そして今回の事件においては、てんかん患者への運転免許取得規制が本格的に議論されようとしている。はっきり言って、私はこの規制に断固反対である。それが事件の被害者を侮蔑した行為であるとののしられてもまったく構わない。というのも、免許規制はてんかん患者にとって単なる「運転ができなくなる」以上の意味を持っており、それは彼らの社会的地位をさらに差別に晒すものであることは間違いないためである。 なお、てんかんと免許の「安全性」については、先のクレーン事故と織り交ぜて語られているhttp://ameblo.jp/moonsun3/entry-11220131531.htmlに詳しい。 「クローズ」——仮面をかぶる生き方 てんかんに限らず、慢性精神疾患やエイズなど告知によっ
震災から一年がたとうとしている。その中で印象的であったことは、やはり「絆」という言葉が連呼されたことであった。多くの場合、インターネットコミュニティ上で、この「絆」という単語は反発をもたれていた。Twitterにおいても、「何が絆だ」「これは【ほだし】(束縛)のことだ」等々、反発の声が非常に高かったことを覚えている。 では、なぜインターネット上では、これほどまでに「絆」に対するアレルギーが強かったのか。それは、今まさに記述した文章の中にあるのではないか。そう、「アレルギー」だ。 なお、さしあたり本稿では、「絆」を「(不特定の)人と人とのつながり」であるとしておく。 昔から存在した「ネットの絆」 そもそもインターネット(不特定多数とのやり取りを行うウェブ上の場所のことを本稿ではこのように記載する)とは、「絆」を描くことに長けたメディアであった*1。偉い人はこれを「互酬性が高い」と表現するらし
http://sinseihikikomori.blogspot.com/2011/11/google.html 普通でない女性が普通を騙る事でどれだけの普通の女性が抑圧されたか。世間一般の愚かな男達があれを普通だと思う事で、どれだけの女性が癒えることのないダメージを被るか。言葉の暴力である。破壊行為である。普通罪である。これはパワーハラスメントなのだ。抑圧なのだ。力による支配なのだ。普通ではない人間が普通を騙る事で、本来普通であったはずの人達は劣等感と敗北を植え付けられて洞窟の中へと逃げ込んでゆく。 ああ、よくぞ言ってくれた。本当に、本当に、よくぞ言ってくれた。 「普通」を定義することは暴力的だ。 世の中で「優れている」とされているものに負けても、人はさほど傷つかない。 しかし「普通」とされている基準に満たないことには人は傷つく。 「身長185cmに満たないからパリコレの男性モデルになる
格差と若者の非活動性について (内田樹の研究室) Q1.現在、世界では、経済格差(世代間格差ではなく、金持ちとそうではない人との格差)や社会への不満に対して、多くの若者たちが声を上げ、デモを起こし、自分たちの意見を社会に訴えようと行動しています。翻って日本ではここ数十年、目に見える形での若者の社会的行動はほとんど見られません。これだけ若者たちにしわ寄せが行く社会になっているのに、そして政策的にも若年層に不利な方向で進んでいるのに、若者たちはなぜ、社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのでしょうか? それは特に不満を感じていないからなのか、それともそうした行動に対して冷めているのか。あるいは社会的に連帯するという行為ができないのか。ネットにはけ口が向かっているだけなのか。内田さんはどのようにお考えでしょうか? なぜ若者が何も言わないのか? 答えは単純。「言っても無駄だと思っているから」。
スティーブ・ジョブズの死は、それ自体として惜しむべき事態であるが、おそらく惜しむべきことはもう一つあるだろう。そして、残念ながらそのことについて記載されている文章は(私の観測の範囲では)ほとんど存在しない。ということで、私はスティーブ・ジョブズについてではなく、彼を取り巻く全体――いわゆる「アップル教」といわれるもの――について、少し書いておきたい。 「英雄化」は再帰的に行われる 我々は今まさに彼の英雄化・伝説化に現在進行形で直面しているが、これは(もちろん)結果としてiPodやiPhone、iPadを成功させたという事態から再帰的に過去が再定義されているからこそ発生しているもので、そこから捨象された様々な「問題点」は依然として我々の前に存在しているはずである。故に、我々は「スティーブ・ジョブズ」という人物それ自体を賞賛するのではなく、彼の成し遂げた「偉業」については賞賛する一方で、その他
「最近の起業家は気持ち悪い、そしてそもそも起業家ではない。」を読んで。 大学入学以来、僕は意外と多くの「学生起業家」と呼ばれる部類の人間と会ってきた。そして、実際のところ米国における現状がいかなるものであるかはほとんど知らないのだが、国内の状況についてはある程度経験的に答えを導き出せると考えている。 日本のスタートアップ環境は、企業の評価を人物のみで行う。その人が有名であるか否かでだ。 一言で言ってしまえば「認知バイアスのせい」なのだが、もうすこしきちんと説明してみよう。はっきり言ってしまえば、こんなのはインターネット上でしか起業家を見たことがないからこそ言うことの出来る戯言である。おそらくこの記事では「スタートアップ環境」というものが具体的に明示している対象が「ソーシャル・メディアにおいてどの程度の速度で(あるいは範囲に)新規プロダクトのリリースが知れ渡るか」ということのみであり、一般的
GoogleのMotorola買収という劇的なニュースに対して、識者によるコメント一通りチェックしてみると、(当然)ネガティブな意見とポジティブな意見を見ることができる。前者としては、HTCやSamsungといった既存の大手端末メーカーが苦境に立たされるのではないかということ、後者は莫大な金額に上る特許訴訟においてMicrosoftやAppleに対抗することができるようになるのではないかということ、がメインであるように感じられた。なお、本記事はGoogleには「本音」があるということを仮定してすすめることとする。 HTCやSamsungにとっては、確かに今回の買収劇は大きな脅威となるだろう――どこかで失敗してしまうと、彼らは「Motorolaのお零れに授かる企業」となってしまう。つまり、Motorolaこそが純正であって、その他のメーカーは永遠なる二番手に転落するということだ。弾氏が危惧す
財布がくたびれてきたので、新調しようと考えていたところに、書店で本書のタイトルが目に飛び込んできました。 稼ぐ人はなぜ、長財布を使うのか? 私がそこまで財布の力を信じる理由の一つに、財布にまつわるある不思議な法則があります。 それが、「年収200倍の法則」。 「財布の購入価格×200」の数字が、ちょうど持ち主の年収(経営者の場合は可処分所得)を表してしまうというものです。 「財布の値段×200」で持ち主の年収が計算できるそうです。私の場合はドンピシャでした。本書では、その背景に迫ります。 お金をコントロールする 稼ぎ続けることのできる人たちは、財布をはじめ、お金の周辺にあるあらゆる部分にこだわりをもっているからこそ、そしてお金そのものをもないがしろにしないからこそ、高い水準のお金を引き寄せることができているのです。 支出は自分で100%コントロールできるものです。お金の動きをコントロールす
企業の多くが、新卒採用数を抑えがちな昨今、大学生の皆さんにとって、厳しい就職活動が続いていますね。就職活動といえば、会社説明会から始まり、書類選考、一次面接、二次面接...といった具合にお決まりのステップがあるものですが、このような就職活動はもう古いのかも...というのが、こちらのテーマです。 フリーランスマーケターのCharlie Hoehn氏は、履歴書はもはや、職を得る上で必ずしもベストな方法ではないと指摘。むしろ、無償で働くことを勧めています。 もちろん、医師のように学歴プラス面接でキャリアが得られる従来型の就職活動も、一部の職種では有効であり続けるでしょうが、Hoehn氏は、TEDのスピーチで「何かをやることが前進につながる」と説いています。 これは、インターンで働くことを意味しているのではなく、自分が尊敬でき、自分の望む仕事を与えてくれるかもしれない人々のために、無償で働くという
本記事は「http://d.hatena.ne.jp/moto_maka/20110618/」に対するリプライである。但し、かなり雑多な内容をひとまとめにして記述するため、少々わかりにくいかもしれない。だが、たぐいまれなるiPhone/Apple厨である私も、そこから逆算するとどう考えてもドコモの次なる一手に期待するしかないこの現状を示すほうが先だと考え、アップロードすることにする。 そもそも「ガラパゴス」は蔑称ではない 近年、キャリア主導の垂直統合に代表される日本の携帯電話市場は「ガラパゴス」と揶揄されている。ワンセグやおサイフケータイ、iモード等の機能を搭載するフィーチャーフォンは「ガラケー」と呼ばれ、この用語がつかわれ始めた当初は「日本の市場はガラパゴス諸島における生態系のように他国とは異なった進化を遂げている」というその事実だけを示す用語であったのに、いつのまにか「国際的に取り残さ
どうしてまた、言わなくていいことをわざわざ・・・と思ったのは私だけではないのでは?と思うわけで。 【速報】NTTドコモが「iPhoneの提供は考えていない」と正式に回答 - GIGAZINE このタイトル見た時、え!??と思いました。なんでも、昨日行われた株主総会でお約束のようにiPhoneについて聞かれ、それに対する答えだったそうで。その理由は以下。ドコモはiモードをご利用いただいているお客様がスマートフォンへ移行された際にもiモードで実現しているサービスを提供していきたいと考えているところ、iPhoneではそれが不可能であるため、iPhoneの提供は考えていない。 なるほど、理由はそこですか・・・・でも、どうしてわざわざそんなこと言う必要があるんだろう? と疑問に思って調べてみると、その理由は表向きのものでしかなく、やはり、真の理由があったようで、簡単に言うとこれは、「ドコモの敗北宣言
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く