タガンローグにあるチェーホフの生家。死後は「作家アントン・チェーホフ記念館」となっている アントン・チェーホフは1860年、アゾフ海に面した港町タガンログで父パーヴェル・エゴーロヴィチ・チェーホフと、母エヴゲーニヤ・ヤーコヴレヴナ・チェーホワの3男として生まれた。兄にアレクサンドル、ニコライ、弟にイヴァン、ミハイル、妹にマリヤがいる。父方の祖父エゴールは農奴だったが、1841年に領主に身代金を支払って一家の自由を獲得した[1][要ページ番号]。父パーヴェルはタガンログで雑貨店を営んでいた[2]。チェーホフは1867年にギリシア系の学校に入学し、翌年にはロシア系のタガンログ古典科中学(en)に入学した[3]。1876年に一家は破産し、夜逃げしてモスクワに移住した。しかしアントンだけがタガンログに残ってタガンログ古典科中学で勉学を続けた[4]。この頃から詩や戯曲などを書いていたといわれていて、