ブックマーク / www.1101.com (3)

  • 「箱入りじいさん」の94年。 やなせたかし×糸井重里 - ほぼ日刊イトイ新聞

    ボーッと見えることは見えるんでね、 このくらい大きく描いて、それを縮小して、 渡してるんです。 今日の仕事も、石ノ森章太郎と手塚治虫の 追悼のために、両方の絵を描く、 という依頼だったんですけど、 デカく描いて、縮小させました。 ぼくは理事長とか、いろんな選考委員、 全部降りたんですよ。 そしてもう引退するって言ったときに、 東日大震災が起きた。 その時に引退なんて甘いことは言ってられない。 あの人たちに比べれば、 自分のほうがよほどまだ元気だからっていうことで、 引退は撤回したんです。 撤回して、向こうへ、うちの声優たちを慰問にやったり、 向こうでコンサートをやったり、現物を寄付したり、 いろいろしてたんです。 だから、まだ、引退はしてないんですけどね、 現実はもうダメなの。

    「箱入りじいさん」の94年。 やなせたかし×糸井重里 - ほぼ日刊イトイ新聞
    thyme56
    thyme56 2013/10/15
  • ほぼ日 -ミーちゃんの縁側。

    ・「ほぼ日」のごくごく初期のころ、 (日付を確かめたら 1999年の6月15日が第一回でしたが) 『80代からのインターネット入門』 という連載がありました。 これは、2000年の1月6日掲載分まで続きました。 その後、タイトルと内容を変えて、 『ミーちゃんの縁側』として再スタートし、 2007年の9月12日更新を最後に、 けっこう長い休みに入っていました。 主人公であり、著者は、 幼少時に別れていたぼくの生母で、 この連載がはじまるまでの人生のなかで、 10回くらいしか合ってませんでした。 詳しいことは省略しますが、 興味のある方は、アーカイブをお読みください。 連載されていた日記は、 「いろり焼きを囲んで遊んできたので楽しかったが、 私は足腰が悪いので元気がなく、 皆さんに申し訳なかった」 という文章で終わっていて、ずっとそのままでした。 何度か、読者の方々からご心配の問い合わせがあっ

  • ほぼ日刊イトイ新聞

    ・「原始的方法」ということばを考えた。 考えたというわけでもないな、そういうことを思った。 いまの時代って、頭のいい人が多いじゃない。 で、いろんな効率的なことだとか考えるじゃないですか。 これをこうしたら、もっと早くなるとか便利だとかね。 しかし、実際に「これをこうする」のはだれなんだとか、 どういう人を集めるんだとかを考えると、 その効率的な方法の実現は、大変過ぎることが多い。 たとえば、初期のころの「前橋BOOKFES」の会議では、 送られたを、固有の一冊としてデジタル的に登録して、 だれのところに届いたかも追跡できるようにして、 そのを媒介にした交流が可能にできるようにする。 しかも、それぞれのプライバシーを守れて…とかね。 ずいぶん真剣に話し合われたのを憶えているけど。 さてさて、それをどうやってやるんだとなったら、 できるわけはなかったわけで、ある段階で話は途切れた。 しか

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