2014年4月23日のブックマーク (2件)

  • 京すごろく

    あなただけのバックギャモンボードを世界から

    京すごろく
  • 遊戯史まわりの考察: 盤双六とバックギャモンの部屋

    結論からいうと、してないと思います。 プレイ人口が少なくなっていたのは確かでしょうが、それだけです。 その証拠となるものを、最小限挙げると次のようになります。 1)1932年、京都の好事家杉浦丘園が宝鏡寺にて大規模な双六会を行う。(『雲泉荘山誌 別冊 すごろく(未定稿)』より。この時点でも伝統ゲーム扱いで、プレイヤーは少なくなっていたようだがちゃんといたらしい) 2)1961年、『一月の京都 古代遊戯雙六の話』刊行。この著者は1932年の双六会を見てきており、盤双六の保存活動を行っている。 少なくとも、1932年の『雲泉荘山誌 別冊 すごろく(未定稿)』のときにはプレイヤーが生きていました。 つまり、この時点で滅んではいないわけです。 また、『一月の京都 古代遊戯雙六の話』の著者は1932年の双六会に参加した上で、保存活動を行っており、1969年まで生きておられました。 となると、1969