コロナ禍で増えた教会への相談 わたしのもとには現在、先の見えないコロナ禍ということもあり、以前より相談の連絡が増えている。例えば、若い人であれば将来が見えないという不安。中高年の人であれば、これまでの人生の意味への問い。コロナ以前は当たり前だったさまざまなことが、制限や断念を余儀なくされる。 ひたすら走り続けてきた人が立ち止まらざるを得なくなったとき、ふと、それまで考えもしなかった抽象的な考え、極論すれば「自分はなぜ生きているのか」が頭をもたげてくるのである。もちろん、その問いかたは一人ひとり異なる。その人ごとに固有の、しかも普遍性をもった問いに耳を傾けながら、わたしもまた自分自身に対して「自分はなぜ生きて、この目の前の人と向きあっているのか」を問うことから逃げられなくなる。 ところで、「コロナで相談者が増えた」みたいな話をすると「沼田先生のところにはいろんな人が相談に来られるのですね。信
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