内戦下のシリアで3年4カ月にわたって拘束され、昨年10月に解放されたフリージャーナリスト安田純平さん(44)の帰国報告会が、神戸市中央区の市勤労会館であった。県弁護士九条の会などが主催し、約500人が参加した。 【写真】シリア拘束時に公開された映像 安田さんは長野県の信濃毎日新聞記者からフリーになり、中東などを取材。2015年6月、トルコからシリアへ入ったところで拘束された。 報告会で安田さんは、拘束の経緯を「間抜けな話」と振り返った。入念な準備をしたものの、真っ暗な山中に1人取り残され、予定外の案内役と行動を共にして拘束されたという。 ただ、04年にイラクでスパイ容疑で拘束され、すぐに解放された際、「人質」と報道された点との関連も指摘。「インターネットに報道が残っており、拘束組織も検索して知っていた。はっきり言えば『人質』はデマだが、日本は身代金を払うと思わせてしまっている」とした。 一
ジャーナリストの安田純平氏がシリア入国の経緯についてデマが流れていると批判した 「"止められたのに行った"物語にするために作られ拡散された」と意図的な行為に憤り こうしたデマが発生する背景には、受け止める側にも問題があると指摘した ジャーナリストの安田純平氏(44)が10日、ツイッターを更新し、自身についてのデマが拡散する背景に言及した。 4日からツイッター上での投稿を活発化させている安田氏は10日、シリア入国の経緯についてもデマが流れていると、改めて批判した。 「私が外務省に止められたにも関わらずシリアに入った、と言われているが、シリアに入る前に外務省ほか日本政府関係者からの接触は一切ない」 安田氏によれば、日本大使館から連絡があったのは2005年の1回だけ。家族に対しても接触はなかったという。 安田氏は「『止められたのに行った』という物語にするために作られ拡散されたデマ」と断じ、意図的
3年半シリアで拘束された戦場ジャーナリスト・安田純平さんが日本外国特派員協会で11月9日で、質疑応答に応じた。 外国人記者からは「安田純平さんは謝罪すべきでない。むしろ、欧米ならば歓迎される」とか「自己責任論は民主主義を知らない無知の意見だ」という声が相次いであがった。
シリアで拘束中の安田純平さんについてどうも日本の世論が冷たい。いつもならば「早く日本政府が救出すべき」という声があがるのに、なぜか今回ばかりはそもそも関心すらもたれていないのだ。 その背景には自業自得な過去があった。 まず大前提として安田純平さんは一橋大学社会学部を卒業後に信濃毎日新聞を経てフリーのジャーナリストになった人物ということを抑えておきたい。 以下では数年前のTwitterでの投稿を中心に安田純平さんに同情できない理由を紹介していく。 (1)「俺が自己責任で戦場に行っているのだから日本政府は規制を図るな。口を出すな」※2015年の投稿 戦場に勝手に行ったのだから自己責任、と言うからにはパスポート没収とか家族や職場に嫌がらせしたりとかで行かせないようにする日本政府を「自己責任なのだから口や手を出すな」と徹底批判しないといかん。 — 安田純平 (@YASUDAjumpei) Apri
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