今日も今日とて、普段は「人権人権!」と高らかに叫ぶ人たちが、いとも簡単に他人の人権は踏みにじる闇落ちをみる。たとえば、今月だけでも奇妙な違和感・・・「あれ???ワタシもしかして同じ数日間を何度も何度もループしてる?これ19233回目???」みたいなエンドレスで同じ日々がやってきているような不思議な感覚に襲われた。一言でいえば、
![【読み放題対象】普段は人権人権いってる人々に限って、すぐに人権意識がバグる理由|丹羽薫ちゃん](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/19173ceff407bdcd29afe6fa8a65c5166b9f662a/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fassets.st-note.com%2Fproduction%2Fuploads%2Fimages%2F66055828%2Frectangle_large_type_2_2b53c57ba2fff9dc23971c4febd37bea.jpg%3Ffit%3Dbounds%26quality%3D85%26width%3D1280)
今日も今日とてリベラルが負けると、まろびでてくる「国民は愚かなり!」という叫び声。毎度の恒例行事でうんざりなのだが、今日は今どきのリベラルな愚民論の解剖をお送りする。どうして愚民論が生まれるのか、そして愚民論がもたらす全体主義について。これから私が書くことは単なる「はいはい、日本のリベラルはすぐ自分たちの正しさが理解されないと、その不快感に耐えきれなくなって、国民は愚かだといい出して、民主主義を奉りながら民主主義のショートカットばかり考えるね」という話ではない。なぜそうなるか根本的な原因だ。 しかし、実は私がうんざりしているのは、「国民が愚かなり!」という叫びそのものではない。むしろ逆だ。というのは――
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