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2019年6月24日のブックマーク (3件)

  • アパホテル、驚異の利益率の裏に浴槽の形までこだわる「徹底効率化」

    もとや・ふみこ/1947年7月8日福井市生まれ。福井県立藤島高校卒業後、福井信用金庫に入社。22歳で結婚。翌1971年、夫である元谷外志雄氏が起業した信金開発株式会社(のちのアパ株式会社)取締役に就任。1994年4月にアパホテル取締役社長に就任。講演活動も積極的に行っている。 今月の主筆 アパホテル社長 元谷芙美子 リーマンショック後、怒涛の勢いでホテル数を拡大し、注目を集めているアパホテル。ホテル業界随一の利益率を誇るアパは、独自のコスト削減策や、航空業界からヒントを得た、需要予測に基づく宿泊料金の変動システムなど、ユニークな施策を次々に導入してきた。オーバーホテル現象もチャンスであると捉え、「まだまだ拡大できる」と語る元谷社長に、アパが目指すビジョンを聞いた。 バックナンバー一覧 アパグループはなぜ成長できたのか。その源を探っていくと、グループが当初手がけていた注文住宅事業に行き着く。

    アパホテル、驚異の利益率の裏に浴槽の形までこだわる「徹底効率化」
  • 原爆と戦った軍医の話 - ジャンプルーキー!

    肥田舜太郎氏(当時28歳・軍医)の被爆体験を漫画化(人から許諾済) キノコ雲の下、何が起きたか。市民はどう動いたか、大人たちは何をしていたのか、原爆とはどういう兵器なのかなど。完結しました。 1/4:加筆修正終了

    原爆と戦った軍医の話 - ジャンプルーキー!
  • ひとつの出会いが、ギブアップ寸前だった僕を『戦える営業マン』へ変えてくれました。 - Everything you've ever Dreamed

    もしあの出会いがなかったら、運が悪かったら、これまで20年以上も、営業という仕事をやってこられなかったと思う。新卒で入った会社で営業部に配属してからの半年ほど、まったく結果が出なかったので、継続的に結果を出せるとはとても想像できなかったのだ。当時はインターネットで情報を集められなかったし、今のように営業スキルを教えてくれるような書籍もなかった(有名経営者の立志伝はあった)。会社の上司や先輩からは、足で稼げ、名刺を配れ、見込み客を増やせるだけ増やせ、と言われただけ。具体的に何をすればいいのか教えられなかった。新人もライバルの1人と見る風土があった。 当時、顔を出していたスナックで、時々見かける初老の男性がいた。彼はいつも一人で静かに飲んでいた。ママからは保険の営業マンだと教えられた。何十年もその道の新規開発営業でやってきた人だと。その頃の僕は、まったく結果が出せずに自信を喪っていた。仲の良か

    ひとつの出会いが、ギブアップ寸前だった僕を『戦える営業マン』へ変えてくれました。 - Everything you've ever Dreamed