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2006年11月05日 「どうでもよいこと」について 3つのパターン 毎度の事ながら検証した訳でなく感覚の話で申し訳ないが、「どうでもいいのだが~~」という言葉で綴られる文章における意味についてちょっと感じた事を書いてみよう。 俺も最近「どうでもいいこと」について、簡単に触れたが 記事において「どうでもいいけど~~」「~~だよね、どうでもいいけど」といっているのは、「どうでもいいと思いたい」場合が多いように思う。 まぁ、どうでもいいけど。 suVeneのあれ: 「ブクマコメント」を見て「記事を読まない」事は思考停止か否かこの時はちょっとネタ的に触れただけで深く考えていなかったのだが、ここ最近「どうでもいいこと」について見かける記事の観点が同じ視点からの事象を言い換えただけに見えるので、自分なりに整理してみようと思う。 まず、「どうでもいい」と述べられる時にある背景は大雑把に分けて 3つくら
「儀礼的無関心」と「無視」と「言及出来ない」を可視化出来ないジレンマ weblog 議論をしようとしても明白なディスコミュニケーション(相互不理解)が存在していると感じる事があります。それは価値観の差であったり、相手に明確なからかいの意図があったりする場合など様々なわけですが。 言葉を選ばずに一番わかりやすい表現で書くとするならば「言いたいことは山ほどあるけれど、お前に付き合う程の暇はない」という事になるかと。 ですが、中には「反論しないんですね?反論しないって事は私の言うことを認めたんですね!負けを認めたんですね!」とかなんとか書いてくる輩がいるわけで。 価値観の差を感じる事=議論の負けとは思わないので、頭に血を昇らせよう作戦なんだろうと思うし、そんなクマに俺様がエサなわけなので、無視するのが一番だと思っていますし、ウエブログはコミュニケーションを行う道具として利活用出来るわけだけれど、
断片部 - 甘くておいしいおイモだよ〜 - あえて言及しない勇気 http://fragments.g.hatena.ne.jp/SweetPotato/20061104/1162629852 自分がどうでもいいと思っているものはウェブにおいて言及しないほうが世に広まらないからいい選択だよ、という話として読んだ。自分のポリシーもそうなのだが、プロパガンダ手法の戦術としてもうちょっと考えてみた。 既に多くの人に知られている様な事象、たとえば社会的事件だったら、自分が言及してもしなくてもすでに有名なのだから、広まってしまうから言及しないという選択肢を取る理由にならない。 次に局所的には人気のある事象について。ここでは、その事象の認知度と自分の言説を読んでくれる人がどのぐらいいるか?という駆け引きになってくる。 わかりやすくするために、事象を人として話を進めるが、相手が自分より知名度があると思え
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