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designと道具に関するtinuyamaのブックマーク (2)

  • 一枚の銅板から形づくる:玉川堂

    2009年1月からはじまった連載第6弾。日のクラフト&デザインについてのレポートをJapan Brandとのコラボレーションによってお届けします。 鎚起銅器(ついきどうき)は、表面のテクスチャーが際立って美しい! 新潟県燕市は、金属の土地である。ここは、古くから材料と道具に恵まれたおかげで、金属加工でその名を全国に馳せてきた。中でも、その美しさから、国内のみならず海外からも評価を得てきたのが鎚起銅器(ついきどうき)だ。美術工芸品としても扱われるこの銅器が生まれたのは、およそ200年前の江戸時代後期。そんな鎚起銅器の魅力を「今」に伝えたいと普及に勤しむメーカーがある。創業1816年の玉川堂だ。同社は、2004年(平成16年)からJapanブランド事業に参加、燕の他メーカー数社と共に金属器の「enn(えん)」ブランドを起ち上げ、海の向こうにその目を向けた。結果は、海外からの引き合いが急増。

    一枚の銅板から形づくる:玉川堂
  • 身体の一部としての道具という発想: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 先日、『木に学べ―法隆寺・薬師寺の美』を紹介した西岡常一さんは「わたしらにとって、道具は自分の肉体の先端や」と言っています。木のクセを知り、そのクセを活かすように木を切ったり削ったりする大工道具は、きっと自分の指先のように木の肌を感じたり、自分の腕のように自在に操れる必要があるのでしょう。斧で足を切らないためには服装もダボダボのものではだめで、足の形がはっきりわかるようなものでない「危のうてしようがないわ」と言っています。 この「道具は自分の肉体の先端」っていう考え、すごく大事だと思うんですよね。先端じゃなくてもいいんですけど、道具を身体の一部として感じ、扱うという感覚が。 身体から切り離された道具最近だと、落としたり、ぶつけたりしても、壊れない。そういう頑丈さを売りにして

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