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socialとことばに関するtinuyamaのブックマーク (2)

  • かぞえ歳の合理性 - コールスロー

    多静六のを読んでいて、文章が若々しいのに「もう八十六になるが…」とあるのでおどろいた。 「一体いくつまで生きたのだろう」と著者略歴を見ると、八十五歳で亡くなっていた。ありゃ。 「しっかりしているようで、歳がわからないくらいボケてたのかな、それともサバをよんでいたとか」などと失礼なことを考えながら生年を確認して謎がとけた。著者はかぞえ歳を使っているのだが、編集者は満年齢を記載しているのだ。計算すると、多静六はかぞえ八十七のときに没している。 以前は「生まれたときはひとつ、正月がくるとふたつ」というかぞえ歳の考えかたは、なんとなく不合理に感じられた。しかし先日『素数に憑かれた人たち』(ジョン・ダービーシャー 日経BP)を読み、かならずしもそうではないということを知った。 まず、満年齢というのは、「生まれてからの時間」をあらわすものであるが、かぞえ歳は、「生後(天から)さずけられた年の個数

    かぞえ歳の合理性 - コールスロー
  • Simple man simple dream -2

    なんだか気恥ずかしくなるようなタイトルだなあ。これもネタが古い。しかし、言ってることはいつもと同じ。同じはなしをえんえんとしているわけだから、もう一種の「古典芸能」だな。 「高度情報社会」という言葉がよく口にされる。「情報感度」はビジネスマンにとって必須の資質だと言われる。 こういう言葉がどうも信用ならない。そもそも「情報」という言葉そのものも何を意味しているのか、字面だけ見ていると、判然としない。もっともinoformationを最初に「情報」と訳したのは誰あろう森鴎外だそうである。そう聞くとなんだかありがたいような気もするけれど。 それにしても「情報」という言葉をたいそうなもののように口にする風潮がどうにも好きになれない。何が厭なのかというと、この言葉が「情報を持つもの」と「情報を持たないもの」の間の社会的ステイタスの「格差づけ」のためにもっぱら使われていて、しかもそのことをはっきり明

    tinuyama
    tinuyama 2005/09/07
    「高度情報化社会について」「inoformationを最初に「情報」と訳したのは誰あろう森鴎外だそうである」
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