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2016年9月5日のブックマーク (2件)

  • ソクラテスの晩年をありえないくらい端折ってポップに仕上げてみた件 - RYULOG

    (この記事のポップ度:80%) ある日、アテネの市民が神の信託を聞きにくるデルフォイという場所に、ソクラテスの弟子がいた。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%9D%E3%82%A4 ソクラテスの弟子「デルフォイwwwマルフォイwww マール書いてフォイwwwwデール書いてフォイwww」 巫女「おい、お前なにやってんだ」 ソクラテスの弟子「あぁっ!巫女ちゃん!」 巫女「馴れ馴れしいな。今日は何の用だ。」 ソクラテスの弟子「あぁ、実はちょっと神に聞いてもらいたいことがあって来たんですよ。」 巫女「神になにを聞けばいい?」 ソクラテスの弟子「うちの師匠ソクラテスって言うんですけど、あの人まじでスゲー頭良いんスよ、マジで。だからソクラテスさんより頭良い人いるのかなーと思いまして。」 巫女「あぁ、ソクラテスさんより頭いいやつ

    ソクラテスの晩年をありえないくらい端折ってポップに仕上げてみた件 - RYULOG
  • 教師は聖職じゃない

    この間テレビを見ていて驚いたことがある。 労働のわりに給料が少ないという元教師に対して「先生なんだから給料うんぬん言うな!」「子供への愛情があればむしろ無給でもいいくらいだ」という人がいたからだ。この意見は極端な例で、まさか当に教員は無給でも働けると思っている人はいないだろう。 しかし、「先生だから」子供へ無償の愛を注ぐことができるかというと別の話だ。 子供というと誰を思い出すだろうか? 多くの人は自分の子供や親戚の子供など、自分と関わりのある子供を思い浮かべるだろう。 それらの子供に愛情があるのは当然だ。 しかし教員が相手にしているのは、いわば他人の子供であり、自分が産んだ子でも親戚の可愛い子でもない。 数ヶ月前まで見ず知らずの赤の他人なのだ。 こんなことを書くと「では教員は子供に対して愛がないのか!」というアホ野郎が出てくるだろうがそうではない。 教員を目指す人は多くの場合、子供が好

    教師は聖職じゃない
    tiri_gami
    tiri_gami 2016/09/05
    さらに言うと非正規の先生はもっとエグい。正規採用と同じ働きでもボーナス福利厚生はなかったり。しかも研修が受けさせてもらえなかったりするので指導スキルがあげづらい最悪。教育現場は限界だったよー