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ブックマーク / www.nonsensecorner.com (2)

  • 残念じゃない日本ってどんなのか、考えたことがありますか? - みんな、自分に自信を持とう | 独り言v6

    帝国の中心で自由主義を夢見る先に -帝国の中心で自由主義を夢見る先に - 雑種路線でいこう. に大変な感銘を受けたので、いろいろ考えたが、エントリを起こすことにする。これに限らず、この一週間ほど梅田望夫氏の「日のWebは残念」発言が話題になっている。 まあ個人的には、このインタビューそのものはほうっておいて良いと思っている。というのも、もはや彼は別に日のWebをどうこうする存在ではない。その資格は、彼が「はてぶのコメントには、バカなものが当に多すぎる」と発言した時点で失ってしまった。すくなくともL.starの心の中では、彼の発言は「自分が誰に向かって話をしているかまったくわかっていない」ということを自白した以上でも以下でもない。 梅田氏はあの発言時点で日のWeb2.0をリードしていくこと(と梅田氏が信じることをすること)を「投げた」んだとは思う。「日の%nは残念」というのが結構な

  • 高校や企業と理系大学の間にある、価値基準の深い溝 | 独り言v6

    価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれない -価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれない - 発声練習. この文章の主題は「他人の移ろいやすい価値観に惑わされるのではなく、精神的に背骨が通ってないといけないよ」というもので、良くできていて、とても耳にいたい。だけど、何故か違和感がぬけない。微妙にしっくりこないように感じる。 例えば、この文面は芸術家にとって半分正しくない。芸術にとっては、作品そのものやそれを生み出すプロセスに対して、「精神的な背骨」が通ってないといけない。しかし一方で、芸術にとって自分の外「だけ」が唯一絶対の価値判断基準である。どれだけ背骨が通っていようが、聴衆に評価されない芸術には何の価値もない。聴衆がどれだけ間違っていて、芸術家がどれだけ正しかろうが、だ。 #ただし、聴衆は変わりうるので、一度ダメだからと言って常にダメとは限らない。死後評価されるなど

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