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人生に関するtk60qtのブックマーク (9)

  • 私が学問に目覚めた時 法学部教授・蒲島郁夫

    皆さんと違って私が歩いてきた道は、名門高校から東大に一直線に進むようなエリートの人生ではなく、たいへんな回り道でした。しかし、その回り道人生から得られた教訓は、人間の可能性は当に無限だということです。 私が生まれた所は、熊県の小さな村です。昔は稲田村と言っておりましたから、村の風景が想像できると思います。私は高校を卒業するまで一度も勉強した思い出がありません。全然勉強をしないものですから、高校時代は大変な落ちこぼれで、同級生220人中200番台の成績でした。私の高校時代の姿から、誰も私が東大教授になるとは思わなかったでしょう。 勉強はしませんでしたが、は誰よりたくさん読みました。これが後になって私の人生に影響を与えたように思います。自分の経験していないこと、知らない世界をによって想像する。それがいつしか自分の夢につながっていったのではないかと思います。 少年時代は3つの夢を持ってい

  • 『新しい微生物創薬の世界を切り開く』大村 智 | サイエンティスト・ライブラリー | JT生命誌研究館

    北里大学 特別栄誉教授 / 米国ウェスレーヤン大学 マックス・ティシュラー教授 / 北里大学北里生命科学研究所天然物創薬推進プロジェクト スペシャルコーディネーター 1935年 山梨県生まれ 1954年 山梨県立韮崎高等学校 卒業 1958年 山梨大学学芸学部自然科学科卒業 東京都立墨田工業高等学校教諭 1963年 東京理科大学大学院理学研究科修士課程修了 山梨大学文部教官助手 1965年 (社)北里研究所技術補 1969年 北里大学薬学部助教授 1971年 米国ウェスレーヤン大学客員教授 1975年 北里大学薬学部教授 1984年 (社)北里研究所理事・副所長 1990年 (社)北里研究所理事・所長 1997年 (学)女子美術大学理事長(兼) 2001年 北里大学北里生命科学研究所教授 北里大学北里生命科学研究所・所長 2005年 米国ウェスレーヤン大学マックス・ティシュラー教授 200

  • 『未知に挑戦する私の脳』伊藤 正男 | サイエンティスト・ライブラリー | JT生命誌研究館

    1928年愛知県生まれ。53年東京大学医学部卒業。熊大学医学部助手、東大医学部助手、助教授を経て、70年同教授。89年理化学研究所国際フロンティア研究システムに移り、97年より同研究所脳科学研究センター所長。東京大学名誉教授。日学士院会員、王立スウェーデン科学アカデミー外国人会員、英国王立協会(ロイヤルソサエティ)外国人会員、ロシア科学アカデミー外国人会員、フランス科学アカデミー外国人会員として、世界を舞台に活躍。小脳の研究で有名だが、常に新しいことを求めないではいられないそのパーソナリティは、「大脳的」。 手当たりしだいを読んで、小説家になりたいと思ったこともありました。しかし、旧制第八高等学校に在学の頃、肺結核になって療養所入り、それが人生の方向を決めたのです。隣の部屋に入院していた若い医者が、医学は面白いよ、わからないことだらけで、やりがいがあると熱心に話してくれました。梅雨期

  • BioMedサーカス.com - 研究者を目指す大学生・大学院生が知っておくべき「40歳になって実感すること」

    研究者を目指す大学生・大学院生が知っておくべき「40歳になって実感すること」 その1:体力がおちる 30歳半ばから体力がおちはじめ、40歳にもなると自分の体力のなさに呆然となる人が大半となります。学生時代は特に問題なくやっていた「徹夜」は基的に出来なくなります。仮に無理して徹夜をしてしまうと、たった一晩の徹夜をしただけでも1週間以上も体調がすぐれないということになってしまいます。そのため40歳になると、実験などの計画をかなり綿密に立てないと研究が全く進まなくなるという事態に陥ることもあります。 その2:自分の時間を家族にとられる 40歳にもなると結婚をして家庭を持つ人が増えてきます。そして子どもが出来れば、自分の時間の少なくない部分を育児に費やさなければなりません。また、人によっては40歳前後から親の介護の問題もでてきます。 学生のうちは自分の時間は基的に全て自分のために使えますが、4

  • BioMedサーカス.com - 医学生物学研究の総合ポータルサイト

    無題 この文章は私の心の闇を文章化したものである。万人に好まれる読み心地の良い快適な文章ではないことを初めに警告しておく。 私は小さい頃から自分はエリートで歴史に名を残す人物になると思っていた。幼稚園の頃に既に自分は周りとは違うという意識があった。小学校では天才だと色々な人から言われた。有名な中高一貫校を出てT大学に入った。大学院での研究では同期よりも先輩よりもimpact factorの高い雑誌に論文が掲載された。これまでの研究室の歴史の中で自分の論文が一番高いimpact factorだった。しかし、自分だから当然の結果だと思っていた。そのときは、挫折などは凡人が感じるものだと心の底から信じきっていた。 雲行きが怪しくなったのは、某財団から奨学金を獲得して海外に留学してからだった。奨学金も特に苦労せずに獲得できたため、海外のLabで自分が研究すれば2年ほどでCellやNature、Sc

  • 研究者を目指す普通の学生諸君に

    『卒業論文は努力賞でもよい,修士論文はうまくいかなかった内容でもまあよい,しかし,博士論文には努力賞はない.失敗したものや説得力のないものはダメ.』これは,小生が論文審査に設けている大雑把な基準である.  ・・・と書き始めてしまったので,編集委員の意に反して真面目な文章になりそうだ.研究観ならまだしも,結婚観とか,子供は何人いるか,果ては女の子のくどき方まで,居酒屋で話すような柔らかい話をさせようとしたけらいがあるが,今回は許されよ.おじさんも年を取ってきた.  ちなみに,物理的に許す限り,子供は多ければ多い方がいいんじゃないでしょうか.今の世の中,たくさん生んだが故に育たないという話は聞かない.多難な人類の未来も彼らが切り開くのだから切り開く彼らが存在しなければ未来の人類も存在しない.5歳ともなればもう全く別の人間,彼の人生は彼のものである.子離れの方が大きな課題である.  諸君の中には

  • 卒業研究・修士研究時の悪循環を防ごう - 発声練習

    はてな匿名ダイアリーで以下のようなエントリーを見ると、自分の研究室でうつ病になった子を思い出して心配になる。 自殺すると研究室にお金が入る仕組みってないのかなぁ 気持ちの整理になるかもしれないので書いてみる 私は、卒業研究や修士研究で得た経験が今後の人生においていくばくかの役に立つと信じているので、卒業研究や修士研究を真剣にかつ楽しく行って欲しいと思っている。でも、一方で、卒業研究や修士研究は長い人生において、何回か登場するちょっとした進級試験でしかないことも理解している。だから、はっきりいって卒業研究や修士研究で自分の心や体を壊すなんていうのはあまりにももったいないと思う。 博士研究は別として、卒業研究と修士研究は成果ではなく努力を評価の対象としている。「でも、中間試問や最終試問とかでは成果について問いただすじゃないか?」という疑問もあろうかと思うけれども、それは、努力の度合いを成果を用

    卒業研究・修士研究時の悪循環を防ごう - 発声練習
  • 博士が100人いる村

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    tk60qt
    tk60qt 2012/06/03
    やさしい口調とは別に、普通に怖い。
  • 男女の違いを思い知った…学生にリレー小説を書かせたら教授も仰天の内容に : らばQ

    男女の違いを思い知った…学生にリレー小説を書かせたら教授も仰天の内容に 男女の間には、なかなか埋めがたい差があるものです。 コロラド大学で、教授が学生にリレー小説の課題を出したのですが、男女の違いを思い知らされる、かなりぶっ飛んだ結果となってしまったようです。 ※リレー小説とは、ひとつの作品の続きを別の人が順番に書いていき、みんなで作る小説のこと。 人気を呼んでいた文面をご覧ください。 教授は隣同士の学生にペアになってもらい、リレー小説を書かせたそうです。 課題: まずひとりが最初の一節分の短編を作ります。それをパートナーと私にメールし、受け取ったパートナーは続きを書き加え、それを二人で繰り返します。 前の人の内容をしっかり読み、話が流れるようにしなければいけません。話の終わりは二人が同意したところで完結とします。 そして以下のものが、実際に2人の学生によって教授に提出されたリレー小説だそ

    男女の違いを思い知った…学生にリレー小説を書かせたら教授も仰天の内容に : らばQ
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