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信仰に関するtkm127のブックマーク (2)

  • 信仰が無いことにいまさら苦しむ

    ここ最近、キリスト教に関連のある文学に触れている。『失楽園』や『レ・ミゼラブル』など。これらの作品に触れて感じるのは、信仰を持つ者の圧倒的な情熱と、他者と関わり合おうとする想いの誠実さだ。そして、日の世俗のなかにいて確たる信仰を持たないまま生きてきた自分には無いものである。私には居場所が無い。交友関係ならなんとなく時々会う友人はいるし、親族との交流もあるし、学生なので研究室の中でゼミ生と交流がある。(恋人はいないが)。しかしなぜか、真に安心して心を許せる場所にならない。常に自分の心を打ち明けられないことに苦しむ。心とは、私はあなたがたに関心を持たない。あなたがたも当のところは私に関心を持っていないだろう。単に生きていくための利害でこうして過ごしているだけなのだということ、それで生きられるなら誰とも合わずに放っておいてほしいということだ。当然だれしもひとりでは生きることはできない。私

  • とある宗教の絶対矛盾 - さなろぐ。

    2012-12-16 とある宗教の絶対矛盾 日々の考察 大体忘れかけた頃に、元相方から息子に電話がかかってくる。 今日の内容は、お正月に祖父母に会いに来ないの?という話に始まり、教会に行ってないのかというお決まりの話題に移っていったらしい。 私は20年余り、とあるキリスト教会の信者だった。同じ宗派の人と結婚し、家族で教会に通い続けた。長く所属した場所を離れて8年になる。離婚したから離れたのではなく、離れた結果離婚もしてしまったというのが当のところだ。 息子には教会に行くか行かないかは自分で決めるように8年前から言い続けていて、息子には息子の理由があって足が遠のいている。特に何かトラブルがあるわけでもなく、今も誘われれば行くこともある。以前から度々、彼の父親がしつこく教会に行けというのには多少困惑はしているけれども。 私が特定の宗教から離れたのは、別に何かあって嫌いになったとか、誰かとトラ

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