[1:翻訳の動機] 解体新書といえば日本で刊行された初の人体解剖図書であり、オランダの医学書である ターヘル・アナトミア(右の写真)を、杉田玄白、前野良沢、中川淳庵らが、苦労して日本語に翻訳したことはご存じの事と思います。オランダ語に精通していたわけでもない彼らが、難しい医学の専門書をなぜ翻訳したのでしょうか?。しかも杉田玄白自身について言えば、それ以前にオランダ人の商館長が長崎から江戸を訪れた際に、通詞(通訳)として同行した西 善三郎からオランダ語習得の困難さを聞かされて、一旦はその習得を諦めた経緯がありました。 それまで日本の医者は中国から伝来した漢方医学を学びましたが、人体の構造については五臓六腑などという言葉を知るのみで、それがどういう物なのか内臓を見た医者もなく、どういう働きをするのかも知らない状態でした。ある時杉田玄白(1733〜1817年)はオランダ語の通詞(通訳)が持って