それが俺の夢。戸建より狭いのがまたいい。地面に固定されていないから地震で崩れる心配もない。移動も容易だ。完璧であり憧れである。
うちの母はスラッとしたカッコいい女性が憧れだが自分はチビデブ(母の談)だからそういう格好ができないといつも口癖のように言っていた。そのせいか、娘である私にボーイッシュな格好をさせたがったし、そんな格好をさせられた3歳の私が道であった外国人に「ボーイ?」とニコニコ声をかけられたというのが、母からもう何千回と聞かされた自慢話だった。 でもその裏で、幼児だった私が欲しいと言ったお姫様ドレスも、みんなが履いていた段フリルのスカートも発表会の花柄ドレスも全部罵倒の対象だった。笑ってバカにして、私にさせてる男の子っぽい格好やスッキリとしたデザインの服が一番可愛いと何度も言った。うちの子が一番可愛い他の子は全く可愛くないと。他の子はダサくて芋くさくてどうしようもないと。私は常に誰かへの否定を聞いて育った。 ◇ 私は発達の早い子供で、文字が読めるようになるのも抜群に早かった。賢い子ってのが小さい
「夢精は凄い気持ちが良い」ときくが、たいして気持ちよくはなかった。 あるのはただ「面倒なことになった。出社までパンツを洗わなければ」という嘆きだけであった。 思えば曖昧な夢の中では確かにある程度の気持ちよさはあったのだが、夢の中のボンヤリとした感覚の中で得られる快感は目を醒ましている時のソレよりもおぼろげで、朝っぱらからパンツを流しで洗い、射精後の気怠い身体で一日を始めることには見合うとは思えなかった。 だが、後悔はない。 あの夢の中で安直な濡れ場に流されることを拒絶しなかった事に後悔はない。 夢精というものを己の身体で知ることがなければ、夢精を語ることは永遠に出来まい。 私は夢精を語れぬ人生から夢精を語れる人生へと生まれ変わったのだ。 手を触れることなく射精をするという経験も初めてであった。 ただ粘膜を己の手やシリコンで擦る事しか知らぬ人生から卒業したのである。 ああ、それにしても夢精と
世間を騒がせている日馬富士の暴行問題。 やれビール瓶だの、アイスピックなどその場の状況も発言者によっててんでばらばらだし その後の入院の経緯や、休場などもよくわからないことが多い。 その中で、一つキーポイントになるのが診断書だが、こういった診断書を書くことの多い市中末端の脳外科医がどういう経緯だったか予想してみる。 まず、書かれた病院は済生会福岡総合病院。ここは博多のど真ん中にある大きな病院で救急もやっている。全く怪しい病院でもない。 鳥取で行われた暴行について後日いってるんだから貴乃花親方としては、きっちり証拠を取ってやる、ぐらいのつもりで貴ノ岩を連れて行ったんだろう。 書いた医者は宮城知也先生。直接面識は無いが、科研費とか論文見る限りでは頭部外傷を専門にされているベテランの先生のようで 求められるがままにへんてこな診断書を書いたり、ということは多分無いように思える。 こういう外傷の患者
うちの犬は元繁殖犬だ。繁殖犬というのは、ペットショップなどに子犬を売るための母犬のことで、しばしば恐ろしい程にひどい環境で虐待されて育てられる。生涯、一畳ほどのケージから出られなかったり、ろくに掃除をされず排泄物まみれだったり、もちろんむりやり妊娠させられたり。役割が終わったら文字通り使い捨てる。こういった業者はパピーミルとか言われる。子犬を売るというビジネスの特徴上、特に規制もない状態では、利益の最大化のために命が軽んじられているのが現状だ。 だから、もし犬を迎えようという人がいたら、どうかペットショップでは買わないでほしい。需要が、そういった供給を生み出すから。生育環境をチェックして、良心的といえるブリーダーから、少し高いかもしれないけど、命に敬意を払って迎え入れてほしい。 さて、うちの犬、仮にKとすると、Kもまたそういったパピーミルで虐待されて育った母犬のチワワだった。パピーミルから
なぜか古いエントリが流れてきた. 放置系ブラック研究室で楽しく生きるにあたって - 糞ネット弁慶 内容を読んでみると自分が置かれた境遇に似ている. 私はこともあろうか博士課程まで進学してしまった. 今までこの研究室では,これが研究だという指針があったものの,いかに井の中の蛙だったことを思い知った. どれだけ頑張っても指導できる先生がいないので,論文を書いてもリジェクトされるのである. あまりにも不運な大学院生を減らしたいので筆を取りたい. 放置系ブラック研究室とは先のエントリでも説明されているが補足もしたい. 放置系ブラック研究室の特徴は,先生が口先だけで何もやらないのである. 酷いところでは,院生や学生に自身の学務に関する仕事を代わりにやらせるケースもある. 先生が何ら自発的にアクションを起こさないため,院生が必死にアクションを起こさないと卒業できない. 配属されるとどんな事態になるかは
趣味で旅行かばんに荷物をつめている。旅行には行かない。 東急ハンズ、ダイソーなどで便利そうな道具を買う。そして旅行かばんに荷造りをする。そして便利なのかを評価する。旅行には行かない。 旅行代理店でパンフレットをもらってくる。説明は聞かない。その旅程を見て、かばんを選び、荷造りをする。旅行には行かない。 作り終わった旅行かばんを持って出かける。なにかを買うのではない。旅行かばんを手にしたり、引き歩いたりして、街を行く。これは旅行ではない。 駅で電車を待ってみる。いくつも待ってみる。空港まで行ってみる。かばんを手にして歩く。旅行じゃない。 帰宅して、荷解きをする。空になった旅行かばんをきれいにして片付ける。 まっしろなパスポートを見る。やっぱり旅行に行っていない。 いつだって、どこにでもいける。すぐにいける。その練習。あと、まだいかなくていいや、とわかるために。旅行には行かない。
皆さんにはセフレがいたことはあるだろうか。 私にはいたことがない。正確に言うと、数週間前まではなかった。 先日職場の後輩Yとたまたま恋愛の話になった。彼女は同僚の男性に半年ほど片思いをしているらしかった。 そして、それとは別にセフレがいることを教えてくれた。 「お互い好きにはならない」という約束で、付き合わずセックスだけする関係。 Yはそのセフレについて、セックスの相性がいいだけでなく、顔がかっこいいことや自分が唯一素を出して甘えられる存在であること、そしてセフレという関係がとても便利であるということを語ってくれた。 私はその話を聞きセフレも悪くないとは思ったが、自分には縁のない話だと感じていた。 今月の初めごろに職場の飲み会があった。私はいつになく酔っ払ってしまい、あっさり終電を逃した。 二次会が終わる頃には私以外の女性は皆帰ってしまい、最後に残ったのは男性数名と私だった。 その日の飲み
年に数回だけ実家に来る伯父のブログを見つけた。 瞑想のブログだった。 20年以上やっているそうで、あちこちで講演会なども行っているらしい。 瞑想をやっていれば人生最高みたいな内容。 瞑想やってる時間を少しばかり削って親の介護をしてはいただけないでしょうか。 あなたの妹である私の母とマスオさん状態の父は、あなたの両親を20年以上介護し続けています。 ブログに両親への感謝を書き綴っている時間があるならば、その親のうんこの処理に来てください。
高校生の頃に3年間同じクラスだった友達がいる。 ちょっと抜けてるというかドン臭い子、けど明るい子だった。 いじめは受けていなかったけど、いじわるはされていた。 下校の時に靴を隠されたりしていた。 彼女は気にせず裸足で家に帰っていたが。 (しばらく裸足で登校していた) いわゆる、本物の天然だったのだろう。 ぶりっ子してる性悪は、それが鼻につくようだった。 だけどいじめではなかった。 なぜって、当の本人が、何もこたえる様子がなかったから。 私は、そんな彼女に世話を焼いたり、焼き切れずに放置したりしていた。 仲は良い方だったと思う。 高校を卒業して、私は地元の国立大学へ、彼女は東京の誰も知らない私大へ行った。 はじめこそ連絡を撮り合ったりしていたが、距離が離れてしまったら交流もなくなった。 一度、成人式で会ったきりで、それからは音沙汰がなかった。 彼女は晴れの舞台だというのに、しまむらで買ったよ
汚い話だがマジの話 俺は男女経験も全くなく、正直なところ今まで1人としか付き合ったことがなかった そんなとき、バイトで働き始めた某コーヒーショップで同時期に入ってきた女の子となんとなく意気投合して付き合うことになった これがつい最近の話 まあやることやって新しい彼女にも慣れたところ、突然彼女が言い出した 「秀くんのうんち食べたい」 もう一度いうがネタじゃない、マジだ 流石に俺も動揺して冗談を疑ったりからかったりしたが、どうやら本当に食べたいと思っているらしい とにかく彼女も決心をつけて言ったようで、俺に本気で拒否られて相当落ち込んでいるようだった 色々ネットで検索したが食べていいという意見や食べたらだめだという意見で様々でよくわからない こんなことが原因で別れることになったら最悪だ
教授になることが内定しました。 数多くの挫折感と戦友の屍をなんとか諦めずに乗り越えてきた。 望んだことでありガチの教授選に勝ってのことなので嬉しいといえば嬉しい。赴任先の大学のレベルも環境も待遇も文句ない。 教育も学内業務もやりきろうと思う。 でも、研究に対する今後のスタンスに戸惑いがある。 院生やポスドクの時は単に研究で知的に興奮できれば良かった。 でも、ある時に偉くなる努力から逃げてはいけない、さもなくば研究をすることさえできなくなると気付き、それほど面白くない研究でもポジション取りにつながるならとやってきた。 自分の中の研究に対する気持ちを抑えて、仕事として研究をしてきた。 でも、もう自分の気持ちに嘘をついて研究テーマを選ぶ必要はなくなる。 今のような世間の評価という名の受け狙いの研究方針は止めるべきだ。 いつまでも大学受験を語る東大生のようなことはしてはいけない。 ではポジション取
姉はイケメンだ。かなりぶっとんでるし、ちょっとどうかと思うような行動に走ったりもするけど、総じてイケメン。性格は姉妹で正反対。私は人見知りで、基本的にいつもおどおどしている。今までいろんな局面で何度も姉に助けられてきた。そんな姉への感謝の気持ちを綴りたい。 まずは小学校の入学式のこと。 うちは母が早く亡くなってる。私が5才になる年に喉頭癌でこの世を去った。姉は私より11才上で、私が小学校に入った年にはすでに高校生だった。 そんな姉が、私の入学式に母の代わりとして参加してくれたのだ。その時のスーツ姿がとても素敵だった。人指し指に緑色の翡翠の指輪をはめていて、それは母の形見だと教えてくれた。入学式の時の写真を見返すと、やはり姉は保護者の中で一人だけ幼げに見える。 姉は高校ではかなり目立っていた。たまに雑誌にも出てた。エルティーンという十代向けのファッション誌で、モデルみたいなことをしてた。私は
学校から帰ってきた子供が目を輝かせながら言った。 しかし、手放しで喜ぶにははいささか不安が残る。 なぜなら、その感想文は100%子供が書いたものではないからだ。 ここで少し、自分の過去の話をしたい。 自分が子供と同じ頃、じつは自分の作文もコンクールに行ったことがある。 結果は佳作としてローカル新聞に載る程度のものだったが。 このときは100%自分で書いた。しかも、子供がどの目線で文章を書けば大人が喜ぶかを計算した上で書いた。 子供らしい向こう見ずな文章や、出て来る数字も敢えて理解よりも大げさに書いた。 なぜなら、周囲の子供たちはまだそのレベルだったからだ。 その子供らしい部分を大げさに表現すれば、間違いなく大人は喜ぶだろう確信があった。 果たして思惑の通りの評価が並び、子供ながらにしてうける文章とは何かを理解することになった。 しかし、賞に選ばれることはあまり嬉しいことではなかった。 少し
誰にも話せないから。 その人は自転車の前後に1人ずつ子供を乗せて、スーパーに来てた。 子供を抱っこしてカートを押して買い物する姿は、優しそうなお父さんだった。 私はレイプをされた後、半年ほど大学に行けなくなった。 その間、誰とも連絡をとらなかった。ずっと1人でいた。 教授からは見放されたし、急に姿を消した私に友達はよそよそしくなった。 その人は私の存在に気づくと、驚いた顔をして、子供たちを自分の後ろに隠した。 私が悪者みたいだった。 どうしたらいいか分からなかった。 精神科でも、いのちの電話でも、あなたから誘惑したんじゃないかと言われた。 自業自得なんじゃないか?と。 私は、未成年で、泥酔させられて、知らない場所に寝かされて、拒否したにも関わらず、面識のないその人にレイプされた。 その人は、別の人から、泥酔して寝かされている私の存在を聞いて、ラッキーと言ったらしい。 どうしたらいいか分から
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く