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2008年8月2日のブックマーク (4件)

  • 竹熊さん、インターネットはヤバイですよ。: たけくまメモ

    えーと、地デジ話の続きです。テレビ局や管轄官庁のお役人たちは、国民が「テレビを見なくなる」可能性をまったく考えてないのでしょうか。たぶん、ないんでしょう。しかしネットが発達している今、テレビから情報を得る必然性は相対的に低くなっているのは確かですよね。 もちろん「地下鉄サリン事件」クラスの大事件が突如発生したら、俺も即行でテレビをつけて、映像で確認したいと思うでしょう。13年前のサリン事件のときは、俺は朝のワイドショーを見ていてあの映像が飛び込んで来たので、テレビによっていきなり「体験させられた」わけですけど。 でも、そこまでの出来事は何年に一度しかありませんしね。しかも今は、たぶん1時間としないうちにネットに映像がアップされる。 インターネットがなかったら、俺がこんなエントリを書くことはたぶんなかったでしょう。 出版や放送を含め、インターネットはあらゆるメディアの「既得権益の構造」を破壊

    tkra
    tkra 2008/08/02
  • 日本教を語る上で欠かせない3冊 - アンカテ

    教の政教分離と信教の自由という前のエントリで書いた「日教」がどれくらい我々のふだんの生活を支配しているか、ということはなかなか理解しにくい。それをわかりやすく語ってくれるのが、山七平氏、阿部謹也氏、井沢元彦氏の三人だ。 この三氏の著作は必読と言ってもいいと思う。特に若い人にはお勧めしたい。「大人の世界」がどういうものかうまく言語化されていて、そこの一員になるにせよ距離を置くにせよ、仕組みや原理がわかると役に立つことが多い。 特にこれからは、それを相対化して、時に離脱したり破壊したりしなくてはいけないことも多いだろう。その時に、不十分でもいいから対象を言葉によって把握できることは重要だ。 そこで、それぞれ代表作を一冊づつあげてみた。 空気の研究 「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3)) 「世間」とは何か 「世間」とは何か (講談社現代新書) 逆説の日史 逆説の日史〈1〉古代黎

    日本教を語る上で欠かせない3冊 - アンカテ
    tkra
    tkra 2008/08/02
  • 同キャラ対戦の闇 - 失踪外人ルー&シー

    初代ストリートファイター2では同キャラ対戦ができない仕様になっていた。当たり前であろう、同じ人間同士が戦えるわけがない。しかし、その当然もゲームのシステム的には不都合があるわけで、アッパーバージョンのストリートファイター2ダッシュ以降は2人のプレイヤーが同一のキャラクターを選ぶことが可能となった。 そうすると困るのはストーリー的な整合性であり、といってもこんなドイツのうら寂しい村でしか見られない怪現象ライクなものに格闘物語的な整合性と言われても困るので、勝利したキャラクターの台詞で、「アイツは偽者だった」とか「そっくりさんだった」とかいう説明を加えることで、なんとか体面を保っていたわけだ。 しかし、よく考えたらこれはちょっと怖いことだ。2人のプレイヤーが対戦している時点では、どちらか片方が物でどちらか片方が偽者であるという事実は存在しない。強いて言うならば2人ともが物であり、この対戦は

    同キャラ対戦の闇 - 失踪外人ルー&シー
  • 「ひとり焼肉」はできても「ひとりカラオケ」は恥ずかしい - (旧姓)タケルンバ卿日記避難所

    友人と「『ひとり焼肉』と『ひとりカラオケ』。恥ずかしいのはどっち?」って話になった。わしゃ「ひとり焼肉」はできるけど、「ひとりカラオケ」はできんなあ。やったことない。 焼肉は恥ずかしくない どうも、大阪にまで「ひとり焼肉」をしに行ったタケルンバです(挨拶)。 まったくもって恥ずかしくないんですよね、「ひとり焼肉」。ええ、どうしても焼肉べたいときは「牛角」とかでもひとりで行きますし。ええ、普通に行きますよ。ひとりで行って、ふたり分をってやります。貪るようにってやりますし、呆れるほどに焼いてやります。 もっとも、昔は恥ずかしかったですけどね。基的に焼肉屋ってひとりで行く構造になってないじゃないですか。大阪とかはカウンターがあって、ひとりでも気楽に焼いてえる店がいくらでもあって、ひとり焼肉文化があるけど、関東はそういう店がないんですよね。……見た記憶ない。 ひとり焼肉デビュー直後はひと

    「ひとり焼肉」はできても「ひとりカラオケ」は恥ずかしい - (旧姓)タケルンバ卿日記避難所
    tkra
    tkra 2008/08/02
    一人晩酌スキーな自分は、ひとカラも大丈夫そうです。