古賀氏のように「リベラル」が極左化して自滅するケースは珍しくない。私はそういう人を山ほど見てきた。中には内ゲバで殺された人もいたし、職場を追われた人もいた。それは彼らが悪意をもっていたからではなく、むしろまじめで純粋な人ほど、そうなりやすい。彼らの脳内にあるのは、山本七平のいう純粋信仰だと思う。 どこの社会でも倫理や規範は宗教にもとづいているものだが、日本社会には普遍的な宗教がないので、「自分の利益にならないことをする」とか「他人につくす」といった原初的な規範しかなく、それが美意識となって人々を強く拘束する。これを丸山眞男は古事記に見出し、キヨキココロの倫理と呼んだ。 本書で山本は、五・一五事件を例にとっている:ここでは天皇のためにつくすという動機の純粋性だけが問題で、その結果の良し悪しは問われない。 天皇の絶対と個人の規範が絶対化されれば、その人間が純粋に天皇を思い、規範においても純粋で