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ブックマーク / stanza-citta.com (3)

  • いろいろクドい話 » 砲兵の仕事 30 (ソ連軍の自走砲)

    ソ連軍の自走砲といえばT34の車台に傾斜装甲で囲まれた密閉式戦闘室を設け、異様に長い方針を突き出したSU-85、SU-100の姿が浮かびます。そもそも世間一般の人々が「ソ連軍自走砲」と言われてその姿がパッと浮かぶことなど滅多にありませんが、幸か不幸かその姿が浮かんでしまう方々むけに書くブログですので、そういう事にしておきます。 とはいうもののSU-85、SU-100といった自走砲はソ連軍の中でもそれほど主流ではありません。ソ連軍の自走砲とは量的に見るとその半数をオープントップのSU-76が占め、そこにSU-152、ISU-152などの重自走砲が加わり、その後にSU-85、SU-100が続きます。古くからプラモで馴染み深いSU-100(田宮模型から発売された1/35キットには「ジューコフ襲撃砲戦車」という偶然にも示唆に富んだ商品名がつけられていました)等の突撃砲型中型自走砲はソ連軍の中では少

  • いろいろクドい話 » 正月特番 付録 (1949年の先制核攻撃)

    1949年9月、高高度偵察機が収集した大気サンプルの分析で ごく近い過去にアジア大陸で核爆発があったことが確認されます。 これがソ連の核兵器開発成功をアメリカが察知した瞬間です。 ここのあたりは市販のにもちゃんと書いてありますからどうでもいいんですが、 ソ連が原爆を持ったことが判明した瞬間に アメリカは対ソ開戦を検討しています。 ソ連軍の核武装が完結しないうちに全てを破壊してしまう予防戦争の検討です。 この戦争は開戦初日の先制攻撃でソ連空軍基地にある戦略爆撃機部隊を壊滅させ 核兵器の運搬手段を完全に失わせることが最大の課題と考えられます。 核戦力を無力化した後はどうにでもなる、と考えているのは その研究を急いでまとめているのが空軍大学だからですね。 せっかく思い立ったのですから 男らしく即座に実行すれば良かったのかもしれません。 けれどもアメリカは結局諦めてしまいます。 その理由 ・ソ連

  • いろいろクドい話 » アメリカ戦艦の辿った道 2

    第一次世界大戦で各国のド級戦艦という「新兵器」が戦争の勝利にも早期終結にも貢献できなかったという事実によって、このような高価な兵器に膨大な予算を注ぎ込むことに対しての疑問が生まれ、海軍部内と外の世界との戦艦建造に対する大きな温度差が生まれてしまったことはアメリカ戦艦にとって最初の大きな躓きでした。アメリカはワシントン会議の席上で戦艦の保有制限と新規建造の休止を提案して各国を驚かせていますが、それはアメリカ政府にとって外交戦略でも軍事的な駆け引きでもなく、なによりも戦艦に対する兵器としての魅力が薄れてしまったことを示しています。 日の軍事史関連書籍では日が八八艦隊の建造に明るい見通しが立たなかったように、アメリカもまた財政上の問題を抱えていたという説明がなされることが多いのですが、財政上の問題で比較するならば第一次世界大戦での唯一の経済的勝者であり世界中の金が流入したアメリカとシベリア出

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