ソ連軍の自走砲といえばT34の車台に傾斜装甲で囲まれた密閉式戦闘室を設け、異様に長い方針を突き出したSU-85、SU-100の姿が浮かびます。そもそも世間一般の人々が「ソ連軍自走砲」と言われてその姿がパッと浮かぶことなど滅多にありませんが、幸か不幸かその姿が浮かんでしまう方々むけに書くブログですので、そういう事にしておきます。 とはいうもののSU-85、SU-100といった自走砲はソ連軍の中でもそれほど主流ではありません。ソ連軍の自走砲とは量的に見るとその半数をオープントップのSU-76が占め、そこにSU-152、ISU-152などの重自走砲が加わり、その後にSU-85、SU-100が続きます。古くからプラモで馴染み深いSU-100(田宮模型から発売された1/35キットには「ジューコフ襲撃砲戦車」という偶然にも示唆に富んだ商品名がつけられていました)等の突撃砲型中型自走砲はソ連軍の中では少