石川県能登地方での大規模地震を受け記者団の取材に応じる石川県の馳浩知事=1日午後、首相官邸(春名中撮影) 愛郷心がヒトより薄い小生でも尊敬している郷土の先輩が、少しはいる。そのうちの一人が、沖縄戦当時の知事だった島田叡(あきら)氏だ。 「命を永らえてほしい」今の神戸市須磨区に生まれた彼は、神戸二中(現・兵庫高校)出身で、東京帝大法学部を経て内務官僚となり、沖縄戦直前の昭和20年1月末、知事として沖縄に赴任した。 前任者は、那覇空襲後、出張を名目に帰京したまま戻らず、辞令を受けた彼は「俺は死にたくないから、誰か代わりに行って死んでくれ、とは言えん」と語ったという。 島田知事は、米軍上陸が迫る中、北部への住民疎開や食料確保に奔走した。米軍上陸後も住民保護に全力を注ぎ、同年6月9日、同行した県職員らに「どうか命を永らえてほしい」と訓示して県組織を解散し、26日に亡くなった(自決説もある)。 さて
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