飛鳥時代 大化(たいか) 白雉(はくち) 朱鳥(しゅちょう・すちょう・あかみとり) 大宝(たいほう・だいほう) 慶雲(けいうん・きょううん) 和銅(わどう) 奈良時代 霊亀(れいき) 養老(ようろう) 神亀(じんき) 天平(てんぴょう) 天平感宝(てんぴょうかんぽう) 天平勝宝(てんぴょうしょうほう) 天平宝字(てんぴょうほうじ) 天平神護(てんぴょうじんご) 神護景雲(じんごけいうん) 宝亀(ほうき) 天応(てんおう・てんのう) 延暦(えんりゃく) 平安時代 大同(だいどう) 弘仁(こうにん) 天長(てんちょう) 承和(じょうわ・しょうわ) 嘉祥(かしょう・かじょう) 仁寿(にんじゅ) 斉衡(さいこう) 天安(てんあん・てんなん) 貞観(じょうがん) 元慶(がんぎょう) 仁和(にんな・にんわ) 寛平(かんぴょう・かんぺい・かんへい) 昌泰(しょうたい) 延喜(えんぎ) 延長(えんちょう)
読み方 かんぴょう・かんぺい・かんへい 西暦 889年5月30日~898年5月30日 期間 約9年 天皇・上皇 宇多天皇・陽成上皇 摂政・関白・将軍・内閣総理大臣 藤原基経 改元理由 代治改元 出典 諸説あり 主な出来事 仁和5年4月27日・・・改元。 寛平元年5月・・・桓武天皇の曾孫高望王の平性を与える(桓武平氏)。寛平御時后宮歌合が催される。 寛平2年・・・寛平大宝鋳造。 寛平5年5月・・・新羅の賊、肥前・肥後国を襲う。 寛平4年5月1日・・・日本三代実録編纂始まる 寛平5年5月10日・・・菅原道真、類聚国史撰修。 寛平6年9月14日・・・菅原道真の建議により遣唐使が中止される。 寛平9年7月3日・・・宇多天皇譲位(醍醐天皇)。 寛平10年4月26日・・・昌泰に改元。
読み方 しょうたい・しゃうたい 西暦 898年5月20日~901年8月31日 期間 約3年3ヶ月 天皇・上皇 醍醐天皇・陽成上皇・宇多上皇 改元理由 代治改元 出典 諸説あり 主な出来事 寛平10年4月26日・・・改元(4月16日、8月16日の異説あり) 昌泰元年7月・・・宇多天皇『寛平御遺戒』を著す。 昌泰2年1月14日・・・藤原時平を左大臣、菅原道真を右大臣に任ずる。 昌泰2年9月・・・僦馬の党の蜂起により、足柄坂・碓氷坂に関を置く。 昌泰3年11月21日・・・三善清行、明年辛酉革命の議を奏上する。 昌泰4年1月・・・菅原道真、大宰府に左遷(昌泰の変)。 昌泰4年7月15日・・・延喜に改元。
読み方 えんちょう 西暦 923年5月29日~931年5月16日 期間 約8年 天皇・上皇 醍醐天皇・陽成上皇・宇多法皇 摂政・関白・将軍・内閣総理大臣 藤原忠平(摂政) 勘申者 醍醐天皇の勅定による。 改元理由 災異改元 出典 「文選」東都賦、白雉詩「彰皇徳兮侔周成、永延長兮膺天慶」。醍醐天皇の勅勘による。 主な出来事 延喜23年閏4月11日・・・改元 延長2年1月・・・藤原忠平、正二位、次いで長兄・故本院左大臣藤原時平の延喜9年の早世以来空席となっていた左大臣に昇進。醍醐天皇の伯父だった藤原定方も右大臣に昇進。 延長2年4月・・・故菅原道真を本官右大臣に復し、正二位を追贈する。 延長3年6月18日・・・藤原時平外孫で、皇太孫の皇太子・慶頼王が僅か数え年5歳で薨去。菅原道真の怨霊によるものと噂された。代わりに叔父で、父の保明親王の同母弟(母は藤原時平・忠平の妹の藤原穏子。)の寛明親王(朱
読み方 じょうへい・しょうへい 西暦 931年5月16日~938年6月22日 期間 約7年1ヵ月 天皇・上皇 朱雀天皇・陽成上皇・宇多法皇 摂政・関白・将軍・内閣総理大臣 藤原忠平(摂政) 勘申者 大江朝網(大内記)・大江維時(文章博士) 改元理由 代治改元 出典 漢書の「今累世承平、豪富吏民、貲数鉅萬」から。 主な出来事 延長9年4月26日・・・延長から改元。 承平元年7月19日・・・宇多法皇が崩御。 承平元年12月・・・群盗横行する。山城国に淀・山崎などの五道を警固させる。 承平元2年4月・・・疫病流行。追補海賊使のことを定める。 承平2年8月4日・・・朱雀天皇の外戚だった右大臣、藤原定方薨去。従一位を贈られる。 承平3年1月・・・京中に群盗横行する。 承平5年・・・忠平の元家人で桓武天皇玄孫の平将門が亡き父、良将の遺領をめぐる紛争の末に伯父の平国香を殺す。 承平5年2月・・・紀貫之、
読み方 てんぎょう・てんきょう 西暦 938年6月22日~947年5月15日 期間 約8年11ヵ月 天皇・上皇 朱雀天皇・陽成上皇 摂政・関白・将軍・内閣総理大臣 藤原忠平 勘申者 大江朝網(左少弁兼文章博士)・大江維時(文章博士) 改元理由 災異改元 出典 漢書に「唯天子、建中和之極、兼総条貫、金声而玉振之、順成天慶、垂萬世之基」とある。 主な出来事 承平8年5月22日・・・改元。 天慶元年6月・・・平貞盛、東国に下る。 天慶元年12月・・・中務省への戸籍送進を励行させる。 天慶2年11月・・・平将門、常陸国府を攻める。 天慶2年12月・・・将門、下野国府を攻め、上野の国府を攻め取り、新皇と称し、除目を行う。 天慶4年11月8日・・・藤原忠平、関白となる。 天慶9年4月20日・・・朱雀天皇譲位。皇太弟成明親王即位(村上天皇)。 天慶10年4月22日・・・天暦に改元。
読み方 てんりゃく・てんりやく・てんれき 西暦 947年5月15日~957年11月21日 期間 約10年6ヶ月 天皇・上皇 村上天皇 摂政・関白・将軍・内閣総理大臣 藤原忠平(関白) 勘申者 村上天皇の勅定による。大江維時か。 改元理由 代治改元(災異改元説もあり) 出典 論語から「天之暦数在爾躬」 主な出来事 天慶10年4月22日・・・改元。 天暦元年4月26日・・・藤原実頼・藤原師輔兄弟が揃って左大臣・右大臣に昇進し、父の関白太政大臣、藤原忠平と共に太政官のトップを占める。 天暦元年6月26日・・・征西大将軍として藤原純友の討伐に功があった参議民部卿正四位下、藤原忠文が死没。 天暦3年8月14日・・・延喜14年以来長く太政官のトップにあった関白・藤原忠平が死没。貞信公の諡号が贈られた。 天暦3年9月29日・・・陽成上皇崩御。上皇歴65年は2位の冷泉天皇を大きく凌ぐ第1位であった。 天暦
読み方 えんぎ・えんき 西暦 901年8月31日~923年5月29日 期間 約21年9ヶ月 天皇・上皇 醍醐天皇・陽成上皇・宇多法皇 勘申者 紀長谷雄(左大弁) 改元理由 代治改元 出典 諸説あり 主な出来事 昌泰4年7月15日・・・辛酉革命・昌泰の変などにより改元。 延喜元年4月・・・東国群盗横行により推問追捕使を派遣する。 延喜元年8月2日・・・藤原時平ら日本三代実録を撰進。 延喜2年4月・・・延喜荘園整理令が発令されるが、不徹底に終わる。また班田も行われたが結果的にこの年が最後となり、律令政治の崩壊が始まる。 延喜3年2月25日・・・菅原道真死去。以後その怨霊に左遷関係者は苦しめられる事となる。 延喜5年4月15日・・・紀貫之らが最初の勅撰和歌集である古今和歌集を撰進。 延喜8年1月12日・・・藤原忠平、参議に戻る。 延喜7年・・・延喜通宝鋳造。 延喜9年4月4日・・・藤原時平、満3
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