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2024年5月25日のブックマーク (2件)

  • 聴覚障害者が便利になったなと思うこと

    なんか世の中便利になったなーと思うことが多いので 書き出してみる。 自分のスペックは重度の聴覚障害者で補聴器を外すと何も聞こえない。けどなんとか喋れるレベル(発音は不明瞭だけど)。 聴覚障害者みんなが同じように感じてるかは知らないけど自分の感想。 テレビの字幕これはだいぶ前からだけど、なんの番組でも大抵は字幕がついてるようになった。一昔前はこの番組は字幕ないかぁ…って事が多かったけど今はもうあんまりそんなことはない。深夜帯はついてないことも多いかな? 最近はCMにもつくようになった。すごい。 自動文字起こし(web会議)コロナ禍以降web会議オンリーになったんだけど、コンピューターの方がよく聞き取れてる。聴覚障害にも色々あると思うけど自分は補聴器をつけても、聞こえても聞き取れない事が多い。音として認識はしてるけど言葉として認識できないんだよね。でもパソコンはかなりの精度で認識してくれる。

    聴覚障害者が便利になったなと思うこと
    tobofu
    tobofu 2024/05/25
  • 〈2〉「アニメーション監督」の誕生――富野由悠季概論|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま

    富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて論の一部を連載します。 今回はシリーズ「富野由悠季概論」の第2回。富野由悠季監督の経歴を時代背景とともに振り返り、アニメーション監督として果たした役割に迫ります。 (バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) アニメーションに「作者」はいるか? 富野がアニメーション監督の認知に大きな役割を果たしたのは、1977年から1984年いっぱいまで続いた「アニメブーム」の時期に当たる。この時期は、劇場版『宇宙戦艦ヤマト』をきっかけに、それまで子供(小学生)向けと思われていた「テレビまんが」「漫画映画」が内容的にも進化し、ティーンエイジャーの熱狂的な支持を得ていることが広く知られるようになった時期である。先述の富野のキャリアに当てはめると、1977年から1988年にか

    〈2〉「アニメーション監督」の誕生――富野由悠季概論|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま
    tobofu
    tobofu 2024/05/25