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米国Virtual Worlds 2007報告(1) Second Life創設の背景を明かす リンデン・ラボCEOがオープニングスピーチ 「可能性は無限で、その先に何が待ち受けているかは誰も分からない」 それから約20年を経て、FreeViewというオンラインビデオ配信ソフト会社を設立し、それを米Real Networksに売却して同社のCTO(最高技術責任者)に就任。こうした経験を経て、Second Lifeを運営するLinden Labを1999年に設立した。 そして話題は彼の“気づき”に移る。物理学者に影響を受けてきたせいか、Linden Labでは風の流れやボールの弾み方など物理的なことの開発に力を入れてきていたという。ところが数カ月前に、Second Lifeの人気は物理作用ではなく、人がコミュニケーションを行っているためであるということに気がついたという。Amezo
第15回 子どもの成績が良いことのリスク ファイナンシャル・プランナー 高橋 希代子氏 2006年8月3日 成績が良ければ安心か? 小学生以上の子を持つ親が集まると、「うちの子は成績が悪くて困る」と嘆く親は少なくない。子どもの成績(学力)を気にするのは、親としては自然なことだと思うが、成績が良すぎて心配という親に出会ったことがない。むしろ、成績の良い子の親は鼻高々というような印象を受けることもある。けれども、成績が良いからと安心してもいいのだろうか? 現在、ニートのAさんは「自分に合う仕事が見つからない」という。よく聞けば、自分は成績優秀だったのに、会社が自分を高く評価してくれないと感じ、転職しようとしたが、失業したまま何年も経っているそうだ。Aさんの親も、「せっかく有名大学を出たのに我慢して嫌な仕事をすることはない」と言い、成人した我が子の衣・食・住を面倒みているのである。
第135回 芥川賞・直木賞はだれの手に? (アライ ユキコ=フリー編集者) 7月13日の夜、東京・築地の「新喜楽」で選考会が開かれ、第135回芥川賞・直木賞が決まった。発表を受けて、大森望、豊崎由美のメッタ斬りコンビから緊急コメントが届きましたのでご紹介。 大森望のコメント 幻滅……。 もうね、候補作読んだりせずに版元だけ見て予想しろってことですよ。 芥川賞はともかく、直木賞が森絵都と三浦しをんのダブルとは…。 ボイルドエッグズからついに直木賞作家が…という意味では感慨深いけど、まさか「まほろ駅前」で受賞するとはねえ。いよいよBL(ボーイズラヴ)の時代が来るってことですか。だったら鹿島田真希も 同時に受賞してれば完璧だったのに。 漏れ聞くところによれば、芥川賞は最初に落ちたのが中原・鹿島田の三島賞コンビ。しかも「点滅……」には見事に1票も入らなかったらしい。中原昌也の受賞可
第135回 芥川賞レース予想(前編) (アライ ユキコ=フリー編集者) 7月13日に開かれる“本家”の選考会に先んじて「文学賞メッタ斬り!コンビ」の二人、大森望と豊崎由美が、選考委員の意向を推察しつつ、候補作の当落を予想した。加えて、各作品に対する評価を、歯に衣を着せぬ本音で語った。 大森 (豊崎が伊藤たかみに◎を付けてるのを見て)ええーっ! なんで? 中原昌也が本命じゃないの!? 愛してる馬の馬券は買わないと。 豊崎 だって、無理ですよ。 大森望 大森 そういう問題じゃないよ! たとえ負けると分かっていても、勝負を逃げちゃダメでしょう。トヨザキ社長たるもの、ここは中原昌也に全財産突っ込まなきゃ。 豊崎 でも当たり馬券を買おうと思ったら、今回は伊藤たかみでしょ? 今回の芥川賞は、そういう企画なんでしょ? しっかし、そんなに伊藤たかみに芥川賞をあげたいんですかね、文藝春秋は。
「カラシニコフ」 「カラシニコフII」 松本仁一著 朝日新聞社 それぞれ2004年7月16日、 2006年5月3日発行 各1,470円(税込み) 日本は、第二次世界大戦終結の直前、米国の手により2発の原子爆弾を投下された。昭和20年8月6日広島、同年8月9日長崎。様々な統計が存在するが、急性放射線障害が一応の収束を見た昭和20年末までに、広島では約14万人、長崎では約7万人が死んだという。その後も放射線障害によるがんや白血病などの被害は延々と続いた。 第二次世界大戦後、米国とソビエト連邦は冷戦に突入し、地球を何度も破壊できるほどの核兵器を備蓄した。両陣営とも核兵器の生産と運用のために莫大(ばくだい)な投資を行った。 1987年、レーガン大統領とゴルバチョフ書記長は、核兵器を実戦で一回も使うことなく冷戦を終結させた。人類絶滅の悪夢を振りまいた核兵器は、広島と長崎以降、
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