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religionと福嶋亮大に関するtokadaのブックマーク (2)

  • 追記 - 仮想算術の世界

    さっきのレスは出かける直前に慌ただしく書いたものなのですが、いま読み返すとかなりいいかげんで、かえって失礼な気がしたので少しだけ追記。 ひとつ確認しておくと、ごく単純な話として、僕は別に経済的弱者や若年層に限らず、これからの日はゆるく宗教国家化していくだろうと言っているわけです。だから、藤田さんのように、スピリチュアルでもオタクでも大麻でも2ちゃんでも何でもかんでも資主義下の弱者の祝祭に持って行くのは、議論のスタイルとしてまずいと思う。そういう議論だと、ニコニコ動画も2ちゃんねるも全部弱者の脳内勝利装置で終わりになるわけで、それは万能の議論だけれども、細かいメディアの差異を吹き飛ばしてしまっている。苦しんでいる奴が生きるためにはヤクでも何でもやればいい。それは確かに間違いではないかもしれないけれど、その議論そのものに麻痺的なところがある。 率直な印象として、僕はいまのロスジェネ界隈

  • 続・ゆるい宗教国家 - 仮想算術の世界

    藤田直哉氏がブログで、前回のエントリ「ゆるい宗教国家」を引いてくれてます。ただ、藤田氏と僕とでは「宗教」についてだいぶ考え方が違うので、これは確認しておいたほうがいいと思いました。結論から言えば、彼が言うのが「物語としての宗教」であるのに対して、僕が言うのは「神話=メタ物語としての宗教」であり、後者の力学を踏まえておかないと、前者の議論そのものがいちばん素朴な宗教に陥りかねないということです。なお、以下の記述は前回のエントリの延長なので、説明が多少不親切なところもあるかもしれませんが悪しからず。 僕が前回書いたのは、スピリチュアルのように宗教なのか宗教でないのかもはや判然としないものが(たとえば、島薗進氏はスピリチュアルを「新霊性文化」と呼んでいます。つまり、島薗氏にとっては宗教というより文化なわけです)、これからの先進各国ではますます強くなるだろうということです。それが「ゆるい」という

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