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2011年6月6日のブックマーク (3件)

  • 庵野秀明愛ゆえに宮崎駿を斬る!: シンジの“ほにゃらら”賛歌

    鈴木敏夫のジブリ汗まみれ。鈴木敏夫庵野秀明対談がめちゃくちゃ面白かったのでめんどくさいのにもかかわらず書きおこしてしまった。庵野さんが宮崎駿を愛情深くめった斬りにしているのがおかしくて。 鈴木敏夫・もののけの時ね、もののけ姫どうだった?と庵野に聞いたら、レイアウトがダメになったって。 庵野秀明・ダメでしたね~。よく宮さんこのレイアウト通したなというくらいダメだった。 鈴木・かなり自分(宮崎駿)で書いてるんだけど。 庵野・いや~ダメですね。レイアウトはかなりね。レイアウトが世界一の人だったのに。 鈴木・レイアウトマンだったものね。 庵野・あの空間のとりかたのなさというのはちょっと・・・あれは年を取ったのかな? 鈴木・空間がなくなっちゃったんだよね。 庵野・すごい平面的になって 鈴木・そうフラットになっちゃった。だからすごいのはお話の方で、絵の方はどっちかというとサラッとしてる。 庵野・あれが

  • 第二部「冷たい熱帯魚と関根元」: シンジの“ほにゃらら”賛歌

    第一部「園子温のキリスト教理解は見せかけか・ジル・ド・レ篇」の続きです。 第二部「冷たい熱帯魚と関根元」 「園子温のキリスト教理解は見せかけか」第一部ジル・ド・レ篇では「冷たい熱帯魚」はキリスト教的殺人鬼を描いていないことを指摘し、キリスト教的殺人鬼の代表であるジル・ド・レを例に出して、「正しいキリスト教的殺人鬼とは何か」について書いた。 第二部の関根元篇はどうして園子温は「冷たい熱帯魚」でキリスト教的殺人鬼を描けなかったのか?それは「冷たい熱帯魚」の実在のモデルである愛犬家連続殺人事件の主犯関根元という男に原因がある。では関根元とはいったいどういう人間なのか、について書きます。 ジル・ド・レと関根元の最大の違いは、ジルの犯行が純粋に自身の悦楽のためであるのに対し、関根の犯行はすべて金銭トラブルが原因だということにある(関根の共犯者Yが関わった4人の殺害理由はすべて金銭トラブル)。 関根元

  • 園子温のキリスト教理解は見せかけか第一部ジル・ド・レ篇: シンジの“ほにゃらら”賛歌

    今、最もノリにノっている映画監督と言えば園子温であることに異論はないだろう。日映画史の中で特別な位置を占めるであろう特別な傑作「紀子の卓」、園子温の才能と情熱が爆発した大傑作「愛のむきだし」、そして最新作の「冷たい熱帯魚」と10年に1の作品とよべるような傑作を連打している。 ただ不満がないわけではない。園子温映画のキリスト教描写に関してである。「愛のむきだし」はキリスト教描写が映画質に関わっているし、なによりあの満島ひかりがコリント書第13章を唱えるシーン 「山を動かすほどの完全な信仰を持っていても愛がないなら何の値打ちもない。最後に残るものは信仰と希望と愛。その中で最も優れているものは愛。」 このシーンはここ10年間のベストシーンと断言できる。 だが、しかし「冷たい熱帯魚」のキリスト教描写はどうだろう。あきらかに映画質と関係のないおざなりな描写でしかないのではなかろうか。私