太平洋戦争末期、米軍は日本各地を空襲しました。 空襲時に日本の戦闘機を米軍から守るために隠しておく格納施設=「掩体壕(えんたいごう)」が、各地の飛行場周辺に作られました。 いわば飛行機の防空壕と言った感じです。 (帝都の空の守り) 帝都・東京には1941年(昭和16年)調布飛行場が設置され、同年8月には陸軍専用の 飛行場として使われました。 ここに帝都防空の拠点として「飛行第244戦隊」が置かれ、陸軍の三式戦闘機「飛燕」などが配備されました。 そして陸軍調布飛行場の周辺には、130基もの掩体壕が設置されました。 しかし、その多くは戦後に取り壊されました。 (調布飛行場の掩体壕は4つだけ現存) 陸軍調布飛行場の周辺に現存している掩体壕は、府中市と三鷹市に2基ずつ、合計4基 だけだそうです。うち1つは個人所有で非公開。 その1つ、東京府中市の西武多摩川線と甲州街道が交わる地点・住宅地の橋の下に
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