2020年6月3日のブックマーク (1件)

  • 高崎山 清涼院 龍廣寺(群馬県高崎市) - 日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~

    【 高崎山 清涼院 龍廣寺 】 所在地: 高崎市若松町49 慶長3年(1598)、徳川四天王の一人で井伊の赤鬼と称された井伊直政が徳川家康の命によって居城を箕輪から和田の地に移すこととなった際、箕輪城下の龍門寺住職である白庵秀関和尚を開山として開山した寺院です。 直政は縄張り候補地に鷹を放ったところ、一の松の木に留まったという。和田という地名を鷹ヶ崎とするか、松ヶ崎とするか思案し、白庵秀関和尚に問うと、「生物には生死栄枯あり。公が命を奉じて、この城を築かれることは盛事大名である。成功高大の義を採って高崎と称すべし」と答えたという。 直政は大いに喜び、和田を高崎と改め、さらに寺院山号を高崎山とするように命じたという。清涼院とは直政の戒名であり、正式名称に入れられた。 山門は嘉永7年(1854)建立されたもので、境内には「村上鬼城の墓」「ロシア人兵士の墓」がある。 堂は大正5年(1916)

    高崎山 清涼院 龍廣寺(群馬県高崎市) - 日本史跡研究会 日々の徒然~埋もれた歴史を訪ねて~
    tokugawawakou
    tokugawawakou 2020/06/03
    井伊家ゆかりの地