まあ、以前に書いたものなんですが。 あの話は幸福についての一つの形についての隠喩なんで、ツバメは王子の分身と見るのが正しい。 ワイルドは子供向けの話を書いているようで、実際には人生の非常に深い事柄について描いているんです。 深い事柄だから、子供には複雑には書けない。だから王子という人格と、ツバメという人格に分けて書いているんですね。こういう人格の分離は文学ではよく行なわれる。シェイクスピアの戯曲の多くがそうですから。 で、王子というのは銅像なわけですが、これは善行を施したいという心と、その善行を行なうにあたっての心とを明確にしたかったということです。 いいことをしたい、なんていうのは誰でもが思うんです。思うことは簡単。いつでもどこでも誰でも思える。思えばニコニコする。「アア、オレッテ、ナンテイイヤツナンダ!」 思ってそのまま事が成れば、世界はどんなにか良くなることか。 善を行なうということ
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