2018年2月22日のブックマーク (1件)

  • 後藤房之助 - Wikipedia

    後藤 房之助(ごとう ふさのすけ、1879年〈明治12年〉11月14日 - 1924年〈大正13年〉7月31日)は、宮城県栗原郡姫松村(現・栗原市)出身の政治家。 八甲田雪中行軍遭難事件での生存者の一人で、帰郷後に村会議員を務めた。 後藤房之助は小作の五男(三男とも言われる)として生まれた。 1899年(明治32年)12月に陸軍に徴集される。1902年(明治35年)1月、歩兵第5連隊の伍長として八甲田山の雪中行軍に加わる。1月23日に雪中行軍隊が出発したが、遭難した結果数日のうちに大半の兵士が凍死するという惨事となった。 ほとんどの兵士は倒れるか道を誤り、総指揮官の神成文吉歩兵大尉と2人だけの行軍となった。神成が倒れた後は、大尉の命を受け前後不覚となりながらも単身で行軍を続けていた。1月27日午前10時ごろ、青森県青森市大滝平付近で凍死寸前のところを救助隊に発見され、行軍隊の遭難事故が発覚

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    tokyo26
    tokyo26 2018/02/22
    “1906年7月23日、八甲田山で後藤伍長の銅像の除幕式が行われる。本人も出席したが、照れくさかった模様である。”