2008年2月21日のブックマーク (3件)

  • 【報告】 一匹の猫と共に理性的であること―ドミニク・レステル講演「動物性と人間性」 | Blog | University of Tokyo Center for Philosophy

    2月14日(木)、11時より、UTCP研修室にて、パリの高等師範学校(ENS)教授で、「動物」をめぐって多数の著作のあるユニークな動物行動学者、ドミニク・レステル氏の講演が行われた。 さしあたり「動物行動学者」と述べたが、講演を伺ったいま、氏をこの呼称のもとに呼ぶことに些かの躊躇いを覚えずにはいられない。氏の問題関心は「動物行動学者」としてのそれを大きく上回るものであり、哲学、心理学、ロボット工学を中心としたコンピュータ工学、生態学、そして、これこそが氏のポジションを独特なものたらしめているように思われるのだが、「~学」と呼ばれることのない種々の職人的な知、あるいは日常的な情動、といったところまで及んでいる。実際、経歴を聞けば、哲学と心理学を修めて教授資格を取った後、フランスのコンピュータ会社BULLでエンジニアとして働き、その後、蟻の思考システム、自立型ロボット――「動物ロボット」――等

    【報告】 一匹の猫と共に理性的であること―ドミニク・レステル講演「動物性と人間性」 | Blog | University of Tokyo Center for Philosophy
    tokyocat
    tokyocat 2008/02/21
    一匹の猫と共に理性的であることより、一人の存在論者と共に理性的であることのほうが、なんだかとても難しいことのように思えてもくるのであった・・・
  • ケータイ小説の環境/神話とは何か2 - 仮想算術の世界

    東浩紀さんのブログの記事に引っ張られて、濱野智史氏の「恋空」論(3)を読んできました。このブログの読者ならおわかりのとおり、僕は現代文化を「神話的操作」のシステムとして読むことをずっと提案しているわけですが、濱野さんのエントリーはまさに『恋空』をケータイ的な「操作ログ」の集合として扱っている。共感するところ大でした。 ところで、濱野さんは後半で、東浩紀さんの言う「ゲーム的リアリズム」とケータイ小説の「操作ログ的リアリズム」を分けています。ただ、僕の印象だと、ゲームとケータイというのは必ずしも対立するものではない。むしろゲームもケータイも、同じ現象の二つの枝分かれとして読める側面があります。それはまさに、前回のエントリーで説明した「神話」の問題です。 いきなり些末な世代論になるかもしれませんが、たぶん濱野さんや僕の世代(80年前後生まれ)は、物心ついた段階で「遊ぶこと≒テレビゲームするこ

    tokyocat
    tokyocat 2008/02/21
  • 痛いニュース(ノ∀`) : 【論説】「頑張れば夢はかなう」は幻想、成功者の傲慢だ。そんなにうまくいかないのが普通。「可能性のよき断念」こそ必要ではないか…脚本家・山田太一氏

    【論説】「頑張れば夢はかなう」は幻想、成功者の傲慢だ。そんなにうまくいかないのが普通。「可能性のよき断念」こそ必要ではないか…脚家・山田太一氏 1 名前:諸君、帰ってきたで?φ ★ 投稿日:2008/02/05(火) 23:42:49 ID:???0 頑張れば何でもできると思うのは傲慢 山田太一 氏 「あきらめるな」とよく言います。だから誰でもあきらめさえしなければ夢がかなうような気がしてきますが、そんなことはあまりない。頑張れば何でもできると思うのは幻想だと僕は思う。成功した人にインタビューするからそうなるのであって、失敗者には誰もインタビューしてないじゃないですか。 人間は、生まれ落ちた時からものすごく不平等なものです。国籍も容姿も選べない。 親も子供も選べない。配偶者だって、2、3の候補の中から選ぶのがせいぜいで、 それでもいいくらいのものでしょう?つまり限界だらけで僕らは生きてい

    痛いニュース(ノ∀`) : 【論説】「頑張れば夢はかなう」は幻想、成功者の傲慢だ。そんなにうまくいかないのが普通。「可能性のよき断念」こそ必要ではないか…脚本家・山田太一氏
    tokyocat
    tokyocat 2008/02/21
    《失敗者には誰もインタビューしてないじゃないですか。》