2014年1月17日のブックマーク (1件)

  • ララビアータ:存在の類比 - livedoor Blog(ブログ)

    稲垣良典氏の近著『トマス・アクィナス――「存在」の形而上学』(春秋社)を一読した。 「存在の類比」と言われてきた考えについて、初めていくらかわかったような気がした。どうも、アリストテレスのそれとは、まったく違うもののようである。アリストテレスでは、たとえば「健康的」などという言葉が、さまざまの対象について、異なる意味合いで述語づけされるとされるが、それらには中核的な意味(一者との関係)があり、それとのさまざまの関係で、それぞれ違う意味で「健康的」と言われるのである。「健康的」の中核的意味は、おそらく身体の滞りなく生命活動ができる状態であろう。「健康的な品」とは、そのような状態を促進する(原因となる)品であり、「健康的な顔色」とは、そのような状態の人の身体的特徴の一部である…。 トマスにおいては、他のキリスト教神学者においても同様だろうが、神と被造物の間の共通な述語の意味が特に問題となる

    tokyocat
    tokyocat 2014/01/17
    《「我々の言葉」で書かれていたと思われていた(聖書の)テクストが、突然「神という他者の言葉」であることが明らかになるようなことがある、そのような変容の可能性》