よその国にちょっと住んだくらいで何がわかるのかとか、旅行してどうするんだというのは、まあ概ね正しい批判だと思うし、そもそも偉そうにわかった気になって語るのは恥ずかしいものだ。とは言え、それでもやらないよりやったほうが良いのは、物事の理解というものが、自分自身の肌感と、言語化された何かとの合わせ技のような気がするからだ。 20年ほど前に中国の広州にいたとき、一度だけ知人に会ったのだが、「街が臭いですよね」と言われて、おおお、そう言われるとそうだなと思い、その瞬間から自分の中で街の匂いというものが鮮明に感じられるようになった。なかなか不思議なものだなあと、とてつもない湿度の街を歩きながら思ったことをよく覚えている。 体験というものは結構バラバラなもので、個別に漂っているものが、なぜかものすごく言語化が上手い人とか、旅行記とかと出会って、それが結合されて腑に落ちるようになる。いかんせん事後だった