ブックマーク / kenmogi.cocolog-nifty.com (25)

  • 茂木健一郎 クオリア日記: ニル・アドミラリ

    私は、 漱石の『それから』 でnil admirariという 言葉を覚えた。 そう簡単には驚いたり、 感心したり、動かされたり しないというのは 人生に慣れ、擦れ、 一種の堕落した魂の 態度のようにも 思えるが、「ニル・アドミラリ」の 処方の仕方に よっては賞賛に至るしきい値を 上げ、より高きを求める原動力 にもなりうる。 そもそも、 人生を豊かなものにするための 必須の条件は、世の中にいかに 高き嶺があるかということを 知ることではないか。 簡単にはその高みには 行けないからこそ、 そのような上目使いを続ける からこそ、 育まれる精神性がある。 私は、結局、そういう人しか 信用しないようだ。 彼は通俗なある外国雑誌の購読者であつた。其中のある号で、Mountain Accidentsと題する一篇に遭つて、かつて心を駭かした。夫には高山を攀ぢ上る冒険者の、怪我過が沢山に並べてあつた。登山の

    tom_nounai
    tom_nounai 2007/10/18
    >簡単にはその高みには行けないからこそ、そのような上目使いを続ける/美しい言葉は夏目漱石からの引用でしたか。「それから」を読みます。
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 白熱電灯のように光を放つ

    オペラ・シティで 行われているMelting Point展を見る。 この展覧会については、 パンフレットにテクストも書かせて いただいていた。 現代美術は、手法としては「何でもあり」 で、一切縛りがない。 しかも、実験的な作品が商業的には 必ずしも成り立たない文学や音楽と 異なり、 ちゃんとコマーシャルにも 成立している。 ただし、自由なようでいて、 一つ抜きんでた 作品であるためには、 厳しい水準をクリアしなければ ならないのだ。 どのような結びつきでも 行き交いでも許容されるが、最後に ある特定の「しきい値」(これは 必ずしも一次元のパラメータではなく、 ベクトル、ないしはグラフ的な ものでもあるかもしれない) を超えなければ「存在」へと 羽ばたくことが できないという点は、 意識の中のクオリアそのものと似ている。 1時間ほど講演し、30分質疑応答 する。 大変に温かい、 白熱電灯のよ

    tom_nounai
    tom_nounai 2007/10/01
    みな孤独の空気を漂わせている、孤独の音がする/孤独はいつも静かに傍に潜んでいるような気がする。たまに自分の孤独には気づくけど、人の孤独には気づけないな。
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 業務山積

    tom_nounai
    tom_nounai 2007/09/28
    同じ月をみていても心の中に感じている質感は時によって様々ですね。その感覚は言葉ではないけれど詩のようだと思いました。
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 月がキレイですね

    高西淳夫先生に お目にかかるのは、久しぶり だった。 早稲田大学は、日の ヒューマノイド研究のパイオニア、 加藤一郎先生の流れを 引き継ぐ、日における ロボット研究所の一大拠点 である。 人間が歩行する時には、 床への圧力のグラフに、 一歩あたり二つのピークがある。 高西さんの研究グループは、 そのような特性を再現する 二足歩行ロボットの開発に 成功した。 今までのヒューマノイドが、 膝を曲げて歩いている印象 であるのに対して、きちんと 膝を伸ばして歩いているように 見える。 「膝を伸ばした状態は、 力学的には特異点になるのです」 と高西さん。 その難所をうまくクリアする ことで、膝伸ばし歩行が 実現したのだという。 会場には、森山和道さんの 姿も見えた。 相変わらず元気そうな森山さん。 質問は鋭く、そのまま議論したら どんどん深い方にはまって 行きそうであった。 「人間であること」

    tom_nounai
    tom_nounai 2007/09/28
    ブックマーク移行:>地球に衛星があったおかげで、私たちの心の中に育まれてきたもの。/なぜ、月を見ると浄化されると感じるのでしょうね。中秋の名月は25日でしたが、満月になるのは明日27日の夜だそうです。
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 自由意志というもの

    朝起きて、仕事をしていて、 家を出る頃になると、 どうにも身体がだるく、喉が ひりひりして、 今日は休んだら楽だな と思った。 休むといっても、うとうと するかもしれないが、仕事はするのである。 しかし、 葛藤はあったが、どう考えても、 休んでしまうと影響が大きすぎる。 先方に御迷惑をかけるし、 後々のスケジューリングが 苦しくなる。 まあ、仕方がないか、 とだるい身体を引きずった。 駅のホームで、どうもヘンだぞ と思った。 ある意味では、調子が悪くて 身体が悲鳴を上げている時の 方が、生きている実感が ありそうだ。 それで思いだした。 何日か前、 地下鉄に 乗っている時、 突如として、 そうだ、何かを考えたり、 感じたりするのではなく、 この時間の流れ、 瞬間瞬間決してとどまる ことなく、一度過ぎ去れば 二度と戻ってこない、 この時間の流れにこそ 注意を向けてみよう。 そう思って、 ガラ

    tom_nounai
    tom_nounai 2007/09/25
    >この世界の背後に、とてつもない悲劇が隠されているように感じられて、・・・ /人同士も完全には分かり合えない悲しみを背景にしながらも関わりあっている、(そして素敵だ)と感じる。