椹木野衣氏は『日本・現代・美術』で日本という「悪い場所」や現代という「閉じられた円環」を批判し、日本の現代美術をリセットするために、自ら企画して水戸芸術館で『日本ゼロ年』を開催した。その論考を中心にまとめたものがこの「『爆心地の芸術』」である。 この〈ゼロ〉で思い出すのは、ロザリンド・クラウスがアヴァンギャルドについて述べた「零地点(ground zero)」(注1)のことである。アヴァンギャルド(ここでは未来主義のこと)は、「過去に対する拒絶や精算以上」のものであり、文字通りの起源、ゼロからの出発、誕生だというのだ。 クラウスは、アバンギャルドの無垢の起源として、「その向こうにいかなるより深いモデルも指示対象もテクストも存在しない、争う余地のない零の場(zero-ground)」、すなわちグリッドをあげて論じるのだが、椹木のゼロは、否定すべき、既成の枠組みたる「現代美術」がいったい何か、