"大倶利伽羅だ。相州伝の広光作で。前の主は伊達政宗。名前の由来は彫られた倶利伽羅竜。 ……それ以上は特に語ることはないな。何せ、無銘刀なものでね" (刀剣乱舞「刀帳」より) 【model: 春壱てん】 ※画像クリックで高画質表示されます 不動の業物が殻。己が羨望の眼を潰す龍の痕 ▼考察 ※諸説調べ考えた個人的な解釈に寄るものです。 1617年 太鼓鐘貞宗 1620年 大倶利伽羅 (1623~1636年の間に 燭台切光忠 水戸へ) 1688~1704年 鶴丸国永 1901年 鶴丸国永 明治天皇へ献上 大倶利伽羅は明治17年8月に仙台から東京に移されるも、関東大震災を逃れている。 燭台切光忠が焼身となった震災時も大倶利伽羅は伊達屋敷におり、 昭和まで伊達家に伝わった。その間売られるまでは太鼓鐘貞宗とおよそ半刃生一緒だったと思われる。 つまり、徳川家より伊達家に移った後昭和まで主が変わることはな
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